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中東の帝国の盛衰~ティムール~ムガル~オスマン

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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中東の帝国の盛衰~ティムール~ムガル~オスマン

「砂漠の宗教」と呼ばれるイスラーム教はアラビア半島、仏教とヒンドゥー教はインドで生まれ、世界宗教となりました。

イスラーム帝国は中東のみならず一時はヨーロッパにまで版図を広げ、文明をリードしましたが、近世にはヨーロッパの侵攻に悩まされることになりました。

【中東の帝国の盛衰】モンゴル帝国復活!ティムール帝国の誕生!(1370年)

ティムール帝国誕生のポイント

ポイント1.チンギス・ハンの子孫を自称するティムールが帝国を創設する
ポイント2.ティムールの子孫バーブルも帝国を創設
ポイント3.どちらもモンゴル帝国の復興を掲げた帝国だった

ティムール帝国が中央アジアを席巻

13世紀、ユーラシア大陸を席巻したモンゴル帝国は創始者チンギス・ハンの死後、四つのハン国に分割され、帝国は事実上分裂しました。

そして1368年、中国の元朝が滅亡すると、モンゴル帝国の復興をめざすふたつの帝国が出現しました。

ひとつ目はティムール帝国。これは「チンギス・ハンの子孫」を名のる豪族ティムールが建てた帝国で、中央アジアで蜂起すると、四つのハン国のうち三つを征服、さらに伸張著しいオスマン帝国にも勝利するなど大躍進を遂げます。

地図の見方:元朝の滅亡後、モンゴル帝国の復興を唱える者たちが帝国を樹立。中央アジアにティムール帝国が、インドにムガル帝国が建設され、一時代を築いた

モンゴル帝国がインドに!

ティムールの没後、帝国は1507年に滅亡します。しかし、今度は彼の子孫バーブルがアフガニスタンから北インドに進出し、イスラーム系のロディー朝を倒して、1526年にモンゴル帝国の復興を掲げてムガル帝国を建国しました。「ムガル」という国名は「モンゴル」を意味する北インドの言葉です。

こうしてモンゴル帝国の継承者を名のる帝国が相次いで成立したのでした。

モンゴル帝国復活:その時日本は!?

天皇がふたりも!

足利尊氏が後醍醐天皇(南朝)に対し光明天皇(北朝)を立てたため、1336年から騒乱が続きます。この南北朝時代は3代将軍義満の時代に南朝が合体するまで続きました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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