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【千葉県域の歴史】貝塚の宝庫だった内房と律令制により3カ国が設置された房総 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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【千葉県域の歴史】貝塚の宝庫だった内房と律令制により3カ国が設置された房総

現在の千葉県域には、太古、広大な内海が広がっていました。
今とはまるで異なった自然環境のなか、人々は歴史を営み始めたのです。

【千葉県域の歴史】県域の始まりと貝塚に見る縄文人の生活

千葉県域では約300の旧石器時代の遺跡が見つかっており、印西市ではナウマンゾウの全身骨格も発見されています。県域に旧石器時代の人々が営んだ生活の痕跡こそ残されていますが、住居跡が確認されているのは縄文時代に入ってから。この地に人々が定住するようになったのは、それ以降のことと見られています。

縄文遺跡といえば貝塚が有名で、東京湾沿岸の内房は「貝塚の宝庫」と呼ばれるほど貝塚がたくさんあります。なかでも加曽利貝塚(かそりかいづか)は日本最大規模で、出土品から縄文時代の人々の暮らしぶりがうかがえます。

千葉周辺の縄文時代の地形

縄文時代は現在より海面が高く、より内陸側に海岸線がありました。東京湾は現在の埼玉県あたりまで深く入り込んでおり(古東京湾)、霞ヶ浦は印旛沼や手賀沼までつながっていました(古鬼怒湾)。関東平野に広がる内海は「香取の海」と呼ばれ、その地形は平安時代まで形をとどめていました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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