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太田道灌とはどんな人?~江戸城を建築した築城名人として称えられる才人~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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太田道灌とはどんな人?~江戸城を建築した築城名人として称えられる才人~

徳川家康が江戸に入る以前に江戸城を築いていた太田道灌。
武将としての武勇伝が伝わる一方、文人としても優れていた道灌の事蹟に迫ります。

太田道灌とは

太田道灌(おおたどうかん)は永享4(1432)年、鎌倉・扇谷上杉家宰・太田道真(どうしん)の嫡男として生まれ、幼少期は鎌倉五山で和歌や漢詩の基礎を身につけました。後に、当時の最高学府・足利学校に学び、文明3(1471)年以降に出家すると、静勝軒道灌を名乗ります。

15世紀は内戦の時代で、禅秀(ぜんしゅう)の乱、永享(えいきょう)の乱、享徳(きょうとく)の乱、長尾景春(ながおかげはる)の乱、長享(ちょうきょう)の乱と連続しました。鎌倉幕府の崩壊後、関東管領上杉氏と鎌倉公方・足利持氏が対立した永享の乱、さらに関東地方一円に広がり28年に及んだ享徳の乱と続きました。

この間、太田道灌は25歳で家督を継ぎ、家宰職に就任。太田道灌は鎌倉公方の足利成氏と戦うため、江戸城、稲付城(いなつけじょう)(赤羽)、河越城(かわごえじょう)(川越)を築いています。

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