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明暦の大火の被害とその後の復興~江戸を襲った江戸時代最大の火災~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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明暦の大火の被害とその後の復興~江戸を襲った江戸時代最大の火災~

江戸は火事が多かったことでも有名です。
江戸時代の大火は100回に及んだといいます。
明暦の大火は町の6割を焼きつくし、大火後、江戸は都市改造を行いました。

明暦の大火の始まり

家康が幕府を開いてから約半世紀、家光の時代に江戸の町はほぼ完成したなか、明暦3(1657)年1月18日、本郷丸山町の本妙寺から火の手があがりました。これが、明暦の大火の始まりです。

1月の江戸は乾燥の季節、西北西の風にあおられてまたたく間に本郷から湯島一帯を焼きつくし、駿河台に延焼。湯島天満宮、神田神社、駿河台下の大名屋敷を焼き払い、火の手はそこから二手に分かれました。

ひとつは南下して鎌倉河岸(現在の千代田区内神田の南部)までの武家屋敷・町屋を焼き、さらに西風にあおられ、八丁堀、霊岸島(れいがんじま) 、佃島にいたる下町一帯を焼きました。もうひとつは西風にあおられ、神田から浅草橋、さらに隅田川を越えて牛島新田(現在の本所)まで焼き、東は深川、南は京橋・鉄砲洲辺りまで延焼しました。

火事は翌朝19日未明にようやくおさまったかのように見えました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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