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彰義隊とわずか1日で終了した上野戦争~幕末に散った旧幕府軍の武士たち 徳川美術館

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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彰義隊とわずか1日で終了した上野戦争~幕末に散った旧幕府軍の武士たち

新政府軍は鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍を圧倒すると、そのまま江戸に向かって進軍し慶喜が戻った江戸城に総攻撃をかけようとしていました。

彰義隊結成と上野戦争の背景

明治元(1868)年1月の鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍に勝った新政府軍は、江戸城を目指しました。旧幕府軍が大坂城に敗走したとき、徳川慶喜はすでに軍艦開陽丸(かいようまる)で江戸に戻っていました。

新政府軍は有栖川宮を東征大総督として、着々と江戸に向かいました。錦の御旗の下、旧幕府軍を軍事的に徹底的に滅ぼす決意だったのです。

西郷隆盛と勝海舟による江戸城総攻撃の中止

江戸城では主戦派と恭順派に分かれ、激論がかわされました。慶喜は当初、抗戦の意志をもっていましたが、その後恭順の意を表して江戸城を出て、上野寛永寺に入って謹慎の意を表しました。

新政府軍の総督府参謀の西郷隆盛は同年3月12日、江戸高輪の薩摩邸に入り、3月13日・14日に、旧幕府陸軍総裁の勝海舟と会談。江戸城の明け渡しや慶喜の隠居、水戸での謹慎などが決まり、江戸城総攻撃は中止されました。

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