

更新日: 2025年1月31日
吉原遊廓は文化サロンの一面もあった!?大河ドラマ『べらぼう』で注目が集まる江戸幕府公認の遊郭とは
市街地の外れに造られた江戸の色街。
幕府の意向でさらに郊外へ移転することとなりましたが、いつしか江戸文化が花開く一大社交場へと変貌します。
吉原遊郭の誕生と名の由来
江戸の遊廓として知られる吉原は、もともとは中央区人形町付近にありました。
江戸幕府が開かれて都市建設の過程で地方から出てきて働く者が多く、人口における男性比率が圧倒的に高かったことから、幕府公認の遊廓である吉原ができる前は、非公認の遊廓がいくつも存在。1か所にまとめたほうが管理しやすいのでは、という茶屋主の陳情が通って、幕府公認の吉原ができたとされています。
元は葭(よし)が生い茂っていた湿地だったため「吉原」の名がつけられました。
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