フリーワード検索

トップ > カルチャー >  関東 > 東京都 >

吉原遊廓は文化サロンの一面もあった!?江戸幕府公認の遊郭とは 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2021年12月12日

この記事をシェアしよう!

吉原遊廓は文化サロンの一面もあった!?江戸幕府公認の遊郭とは

市街地の外れに造られた江戸の色街。
幕府の意向でさらに郊外へ移転することとなりましたが、いつしか江戸文化が花開く一大社交場へと変貌します。

吉原遊郭の誕生と名の由来

江戸の遊廓として知られる吉原は、もともとは中央区人形町付近にありました。

江戸幕府が開かれて都市建設の過程で地方から出てきて働く者が多く、人口における男性比率が圧倒的に高かったことから、幕府公認の遊廓である吉原ができる前は、非公認の遊廓がいくつも存在。1か所にまとめたほうが管理しやすいのでは、という茶屋主の陳情が通って、幕府公認の吉原ができたとされています。

元は葭(よし)が生い茂っていた湿地だったため「吉原」の名がつけられました。

吉原遊郭移転のいきさつとは

当初は江戸の外れだった日本橋あたりも、人口が増え続けるにつれて、江戸の市中となっていきます。市中の治安を懸念した幕府は、吉原の移転を決定。その翌年の明暦3(1657)年に明暦の大火で吉原は全焼したため、移転が実行に移されました。

移転先は浅草寺裏手(現在の台東区千束)で、こちらを「新吉原」、元の場所を「元吉原」と呼ぶようになりました。

現在の地図で見る新吉原の範囲

現在の地図で見る新吉原の範囲

吉原の出入口は大門の1か所のみで、遊女の逃亡を防ぐために塀と「お歯黒(はぐろ)どぶ」という堀で周りが囲まれていました。大門をくぐると約270軒の妓楼があり、遊女の数は最盛期には7000人に達したといいます。

安政2(1855)年の大地震では、遊女たちを逃さないよう木戸を閉めたため、おびただしい死者が出る惨事となってしまいました。

吉原遊郭は一大社交場に!江戸文化の最先端が集まる場へ

市街地から離れていたため、昼夜の営業が許可されることに。また、吉原は岡場所(非公認の私娼窟(ししょうくつ))とは異なり、遊女は源氏名を名乗り、いくつもの階級に分けられていました。最高級の遊女は「花魁(おいらん)」と呼ばれ、高い教養を身に付けているうえに、三味線や箏(こと)などの芸事や茶道、書道なども教え込まれていたのが特徴です。

新吉原では、武士だけでなく、豪商や大店の旦那衆、庶民までが通うようになり、色事だけでなく一種の文化サロンとしての役割も果たすようになります。狂歌の歌会、書画や音曲のお披露目、浮世絵師とパトロンの交流の場といった使われ方もされ、吉原は、一流の社交場としての格式を有する、江戸文化の最先端が集まる場へと発展していきました。

吉原遊郭を支えた遊女たちの過酷な現実

その一方で、吉原を支える遊女たちは、親兄弟の生活のために「年季奉公」という建前のもと身売りされ、稼いでも借金が減らず奉公期間が長くなりがちな仕組みのなかで苛酷な労働を強いられました。しかも、病気にかかっててもたいした治療も施されずに若くして亡くなるケースが少なくありませんでした。

多くの遊女の亡骸が寺へ投げ込まれるようにして捨てられたことから「投げ込み寺」とも呼ばれた三ノ輪の 浄閑寺(じょうかんじ)には、2万人を超える遊女たちが葬られているともいわれます。

遊女の一日は大忙し!

遊女は朝6時頃に客を送り出して9時頃まで就寝。起床後に身支度と朝食を済ませ、正午あたりから夕方4時頃まで、客が格子越しに遊女を見て指名できるよう張見世(はりみせ)で待機します。夜は6時頃から深夜0時頃まで待機しながら朝まで客の相手も行います。吉原は、眠ることのない「不夜城」でした。

遊女の一日は大忙し!

吉原遊郭の終焉

吉原は、幕末になると岡場所に客を奪われ、江戸時代が終わっても政府公認の色街として続くものの、明治以降は花柳界の発展に押されて衰退。太平洋戦争後に売春防止法が成立し、昭和32(1957)年、340年続いたその歴史に幕が下ろされました。

『東京のトリセツ』好評発売中!

地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から東京都を分析!

日本の各県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。東京の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

【見どころ】 Part.1 地図で読み解く東京の大地

・「低地」の下町と「台地」の山の手、 2つの地形で成り立つ東京
・多摩川によって作られた? 東京に広がる武蔵野台地
・昭島市はかつて海だった!? アキシマクジラ発見の衝撃
・御神火が生んだ島々、伊豆諸島の誕生と火山の関係
・実は立川市内にはない? 東京の活断層「立川断層」とは?
・玉川兄弟が江戸まで引いた ! 標高差わずか92mの玉川上水
・23区内は坂だらけ? 900以上の名前を持つ坂がある
・凸凹を考えて見てみるとおもしろい! スリバチ状の地形が点在する東京
・渋谷は谷が密集してできた街だった
・千鳥ヶ淵はダムだった !?
・荒川と隅田川に囲まれた低地はなぜできたのか? 海抜ゼロメートル地帯江東デルタ
・“荒ぶる川”荒川の流路付け替え
・地下の大宮殿!? 日原鍾乳洞
・火山活動で誕生した島々の進化の歴史 、小笠原諸島の成り立ち
…etc.

【見どころ】Part.2 東京を駆け抜ける鉄道網・交通網

・海の中を走る鉄道だった!? 日本初の鉄道が新橋~横浜で開通
・馬車鉄道から始まった東京の都市交通機関、60年にわたる路面電車の活躍
・日本の発展を支えた100年。帝都の玄関口、東京駅開業
・関東大震災以降、東京は郊外へと拡がった。田園調布の開発と私鉄の発展
・地下鉄は銀座線から始まった/東京地下迷宮! 幻のホームとは!?
・64年東京五輪のレガシー “夢の超特急”東海道新幹線開通!
・都電荒川線が唯一存続した理由
・新宿駅がビッグターミナルになるまで
・高尾山ケーブルカーは日本一の急勾配!?
・五街道の起点となった日本橋
・勝鬨橋は幻の万博のために作られた
・首都高速の誕生と未来/東京の交通網の未来予想図
…etc.

【見どころ】Part.3 東京で動いた歴史の瞬間

・天之手力雄命と菅原道真公を祀る 古代に創建された湯島天満宮
・片田舎の武蔵野は関東随一の大国だった
・文武両道の才人、太田道灌が江戸城を築城
・八王子城の落城と戦国時代の終焉
・江戸幕府開府と家光で完成した大都市
・迫られる外交方針 ! 徳川家光が定めた「鎖国」体制
・江戸を襲った明暦の大火
・江戸を恐怖の底に陥れた安政の大地震
・徳川慶喜の思惑が外れた大政奉還
・中央集権国家の誕生へ ! 東京の誕生と廃藩置県
・大久保利通暗殺、紀尾井坂の変
・江戸本所生まれ、郷土の偉人 勝海舟の波乱の人生を追う
・関東大震災 被害と復興
・“玉砕の島”硫黄島の悲劇
・条件降伏と玉音放送
・東京裁判とスガモプリズン
・敗戦から19年目の東京五輪
・学生たちは何を求めて闘ったのか? 東大紛争と安田講堂事件
・三島由紀夫、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決
…etc.

【見どころ】Part.4 東京で生まれた産業・文化

・吉原遊廓は文化サロンの一面も!?
・大衆文化の頂点に立った江戸歌舞伎
・開国要求への抵抗!「お台場」の由来は幕末にあった
・西洋スタイルの銀座煉瓦街が誕生
・日本初の第一国立銀行は日本橋で誕生した
・一丁倫敦と呼ばれた丸の内 職人が手作業で組み立てた東京タワー
・神田から始まった日本の近代下水道モデル
・都営白鬚東アパートは巨大防火壁だった!
…etc.

『東京のトリセツ』を購入するならこちら

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  関東 > 東京都 >

この記事に関連するタグ