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群雄と名士の関係~三国志の争いに大きな影響を与えた人々~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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群雄と名士の関係~三国志の争いに大きな影響を与えた人々~

「三国志」の時代は、3世紀、後漢末から含めても、百年余りに過ぎません。しかし、この時代は、古代ローマ帝国に匹敵する大漢帝国が崩壊し、新たな戦乱の世を迎えた中国史上の一大転換期でした。ちなみに、日本は卑弥呼の時代です。

「三国志」に描かれた幾多の君主や武将、そして軍師たちは、時代の変革期において、それぞれの信念に従って互いにぶつかり合い、行動しました。かれらの「生き方」は、決して一様ではなく、実に多種多様です。わたしたちは、それぞれの感性によって、好きな人物に肩入れし、自分なりの「三国志像」を結んでいくことができるでしょう。

群雄の争いに影響力を持つ名士

後漢末期の群雄の争いに大きな影響力を持ったのが名士(めいし)と呼ばれる人々です。

彼らは名声を基盤とする文化的な権威を持った知識的な支配階層でした。名士の名声は名士相互の評価から生じるもので、彼らは国家からは独立し儒教を価値基準に置いています。

その彼らの協力を得ることが、群雄による地域支配の安定につながりました。三国志の時代は戦争や支配地が広範囲となったため、名士の幅広い人脈や情報網、判断力、さらに社会的権力が必要だったのです。

後漢末期、最初に名士を支配安定のために活用したのは董卓(とうたく)でした。

また、袁紹(えんしょう)公孫瓚(こうそんさん)は名士の活用で明暗を分けます。

自らも名士である袁紹は積極的に名士を活用し、河北(かほく)(黄河北岸地域)の覇権を手にします。一方公孫瓚は名士ではなく商人らを採用し、地域支配に失敗しました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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