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夏侯淵のみとなった寒中へ侵攻す曹操を撃退~定軍山の戦い~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2021年12月14日

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夏侯淵のみとなった寒中へ侵攻す曹操を撃退~定軍山の戦い~

200年の官渡(かんと)の戦いを制した曹操は、その後袁紹(えんしょう)の息子たちを滅ぼし、207年までに河北を掌握し、群雄のなかで随一の実力を手にしました。曹操は次の目標を荊州、そして孫家(そんけ)の支配する呉(ご)と定めて南下を開始します。

この頃、荊州の劉表(りゅうひょう)の下にあった劉備は、荊州名士(めいし)の間で評価を高めていた諸葛亮(しょかつりょう)を陣営に迎えて天下三分を基本戦略と定め、まずは曹操の南下を撃退すべく、孫権(そんけん)との同盟を締結します。

ここに三国成立の契機となる赤壁(せきへき)の戦いを迎えます。

劉備軍、曹操のいない隙に漢中へ侵攻し、夏侯淵を討ちました。

夏侯淵は定軍山に進出した劉備軍に討ち取られる

孫権(そんけん)の方針転換を知らない劉備(りゅうび)は217年、曹操(そうそう)が制圧した漢中(かんちゅう)奪取を計画します。曹操が漢中に夏侯淵(かこうえん)を残して帰還したのち、劉備は張飛(ちょうひ)らを下弁へと侵攻させます。

張飛らは固山に移って陽動作戦に出ますが、曹操軍の曹洪(そうこう)に見破られてしまい、逆に下弁(かべん)で孤立した呉蘭(ごらん)が討ち取られてしまいます。

下弁の戦いは劉備の敗戦に終わりましたが、劉備自らの軍は陽平関(ようへいかん)から撤退せず、219年には定軍山(ていぐんざん)に進出します。

そこでは劉備軍は陽動作戦で敵の夏侯淵の軍を分散。そのうえで黄忠(こうちゅう)が高所から陣太鼓を鳴らして気勢を挙げ、坂を駆け下って夏侯淵の部隊になだれ込み、夏侯淵を討ち取ったとされます。あるいは隙をついて夏侯淵を討ち取ったともいわれています。

夏侯淵なきあとの漢中はそのまま劉備に抑えられる

一方、曹操はすぐに動くことができませんでした。218年に魏国内のクーデターが発覚する一方、北方で烏丸(うがん)の乱が起こっていたからです。

それらをようやく鎮圧し、孫権とも和解した曹操は219年、自ら漢中入りします。

しかし劉備軍の守りは固く、曹操軍の猛攻に耐え抜きます。曹操も趙雲(ちょううん)空城(くうじょう)の計に撃退されるなど、いたずらに戦死者を増やすばかり。曹操はついに漢中から撤退し、劉備は漢中の奪取に成功したのです。

ただしこの時、曹操は漢中の住民の多くを魏に連れ去っており、劉備が欲した人口的な利益は少なかったようです。

【劉備の漢中奪還:注目の武将】趙雲とはどんな武将?

冀州常山郡真定県の人。当初公孫瓚に仕えましたが、その後劉備に従い、荊州に入りました。長坂の戦いでは逃げ遅れた劉備夫人と子の阿斗を救う活躍が伝えられます。趙雲が曹操に降ったという報告を劉備が一蹴するほど信頼され、漢中制圧戦の際には迫りくる曹操軍を、無防備を装って引きつけてから反撃し損害を与える胆力を発揮しました。

【劉備の漢中奪還】三国志演義では?

戦いの不利を悟った曹操は、「鶏肋(けいろく)」という布令を出します。部下たちはその真意がわからず戸惑いますが、ただひとり楊修(ようしゅう)という人物が曹操の撤退の意図を察し、準備を始めたとされます。演義においては、こうした楊修の才を警戒した曹操が、殺害に及んでいます。

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【見どころ】目次より一部抜粋

■序章 三国志とはなにか?
【『三国志』と『三国志演義』】三国志といっても正史と演義のふたつが存在する
【日本人と三国志】江戸時代に始まる日本の三国志ブーム
【名士の社会】三国志の争いに大きな影響を与えた人々

■第1章 曹操の華北制覇
【黄巾の乱】太平道の張角が信徒を率いて蜂起! 群雄割拠の時代が幕を開ける
【董卓の死】子飼いの将に裏切られ命を落とした暴君
【呂布追討】呂布に徐州を奪われた劉備、曹操とともに呂布を討つ ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
董卓の死/曹操・劉備・孫権の人物像

■第2章 三国時代のはじまり
【三顧の礼】荊州にて不遇の日々を送る劉備、諸葛亮と出会う
【赤壁の戦い】業火が曹操の水軍を焼き尽くした三国志最大の戦い
【樊城の戦い】樊城を陥落寸前まで追い詰めた関羽、呉の寝返りにより麦城に散る!
【曹操の死】曹操の死と曹丕の即位が三国時代の幕を開ける ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
三顧の礼/諸葛亮と周瑜の角逐/錦馬超/『孟徳新書』/関帝信仰

■第3章 諸葛亮の北伐
【曹丕の南征】弱体化した呉を狙うも敗退し、蜀呉同盟復活の契機となる
【第一次北伐】劉備の念願をかなえるべく、諸葛亮が長安攻略を目指す
【第五次北伐】魏の持久戦術に成す術なく、五丈原で諸葛亮の命が尽きる

■終章 三国時代の終焉
【蜀の滅亡】厭戦気分の高まる蜀になだれ込み、成都を強行軍によって占領した魏
【魏の滅亡】司馬氏に乗っ取られた魏、禅譲によって晋に取って代わられる
【呉の滅亡】暴君・孫晧の悪政に付け込んで一斉に晋軍が侵攻 ほか

監修者紹介

渡邉義浩(わたなべよしひろ)
1962年生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科史学専攻修了。早稲田大学文学学術院教授。専門は中国古代思想史。文学博士。主な著書に『三国志事典』(大修館書店)、『「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち』(講談社)、『三国志 演義から正史、そして史実へ』(中公新書)などがある。

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