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曹丕の即位で三国時代の幕を開ける~曹操の死と魏王朝誕生~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2021年12月14日

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曹丕の即位で三国時代の幕を開ける~曹操の死と魏王朝誕生~

200年の官渡(かんと)の戦いを制した曹操は、その後袁紹(えんしょう)の息子たちを滅ぼし、207年までに河北を掌握し、群雄のなかで随一の実力を手にしました。曹操は次の目標を荊州、そして孫家(そんけ)の支配する呉(ご)と定めて南下を開始します。

この頃、荊州の劉表(りゅうひょう)の下にあった劉備は、荊州名士(めいし)の間で評価を高めていた諸葛亮(しょかつりょう)を陣営に迎えて天下三分を基本戦略と定め、まずは曹操の南下を撃退すべく、孫権(そんけん)との同盟を締結します。

ここに三国成立の契機となる赤壁(せきへき)の戦いを迎えます。

曹操の死と曹丕の即位が三国時代の幕を開けます。
漢王朝を滅ぼした曹丕に対し、孫権は臣従の姿勢を示しますが、劉備は即位を認めず、自身も皇帝となって対抗の意志を明確にしています。

曹丕が禅譲を受けて魏の初代皇帝となる

関羽(かんう)の死から間もない220年1月、魏を建国した曹操が没し、太子の曹丕(そうひ)が魏王となります。

曹丕は後継争いのライバルとなった実弟の曹植(そうち)曹彰(そうしょう)の二人を左遷して支配体制を固め、同年9月には後漢の献帝(けんてい)より禅譲(ぜんじょう)を受けて皇帝となりました。これが魏の初代皇帝・文帝(ぶんてい)です。ここに後漢王朝は名実ともに滅亡し、洛陽を都とする魏王朝が成立します。

禅譲とは先王(帝)より位を譲られる形式のことです。武力で先王を倒す「放伐(ほうばつ)」よりも理想とされた、王朝交代の形式でした。もとよりこの禅譲は建前で、実質的には位を譲るよう武力で迫ったものでしたが、それでも曹操と曹丕による禅譲の形式は、以後、「魏武輔漢(ぎぶほかん)の故事」と呼ばれ、北宋(ほくそう)の成立まで800年にわたって受け継がれています。

曹丕とはどんな武将?

曹操の嫡男で、丞相曹操の補佐を務めて経験を積み、217年、魏の太子に立てられました。220年に曹操が死去すると跡を継いで魏王となり、献帝から禅譲を受けて魏を建てました。人事基準を儒教に置き、新たに九品中正という官僚任用制度を制定しています。

曹丕の即位に対する蜀呉の反応

この動きに対し劉備(りゅうび)と孫権(そんけん)はそれぞれ別の選択をしています。

漢の後裔を自負する劉備は曹丕を漢の簒奪者と批判し、翌年4月、漢を継承した蜀漢(しょくかん)を建国し、自ら帝位につきました。

呉の孫権は魏と蜀の2方面を敵に回すことを避け、自ら皇帝とならず魏に臣従する道を選びます。曹丕も心底、孫権を信用しているわけではなく、孫権に非常識な数々の献上品を要求します。呉の国内からは反発の声も上がりますが、孫権は呉の人々の命は自分の決断にかかっていると言って、これをすべて整えて献上したとされます。

【曹操の死】三国志演義では?

曹操の死は関羽と結び付けられています。関羽が亡霊となって呂蒙を祟り殺したため、孫権が関羽の首を曹操に送ると、曹操の前で首が眼を見開き、髪や髭を逆立てたのです。以後、関羽の夢と頭痛に苛まれるようになった曹操は、これまでに殺害した人々の霊に悩まされながら没するのです。

曹操墓の発見~ついに発見された〝乱世の奸雄〟の墓~

2009年、中国の河南省安陽市(かなんしょうあんようし)で曹操(そうそう)のものとみられる墓が発見されます。60代男性らしい頭蓋骨が発見されたこと、墓の規模や時代、形態から考えても曹操のものと考えられるとされます。曹操の墓とされた最大の根拠が「魏武王常所用挌虎大戟」と書かれた石牌です。曹操が用いた大戟の意で、それがこの墓に納められていたことを示すものでした。

しかもこの墓は曹操が残した「薄葬令(はくそうれい)」にも矛盾していません。その令は「遺体を平服で包み、副葬品は質素にすること」と自分の埋葬を簡素にするよう命じたものです。じつはこの墓からは瑪瑙(めのう)円盤や開閉器といった用途不明の物は出土していますが、玉製品や王侯クラスの遺体を包む玉衣が発見されていません。盗掘されたとも考えられますが、玉衣は使われた痕跡すらないため元から使われていない可能性が高いといいます。

隣接する一号墓が放棄されて用いられていないことからも、今回発見されたものが曹操高陵であることが明らかです。

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【見どころ】目次より一部抜粋

■序章 三国志とはなにか?
【『三国志』と『三国志演義』】三国志といっても正史と演義のふたつが存在する
【日本人と三国志】江戸時代に始まる日本の三国志ブーム
【名士の社会】三国志の争いに大きな影響を与えた人々

■第1章 曹操の華北制覇
【黄巾の乱】太平道の張角が信徒を率いて蜂起! 群雄割拠の時代が幕を開ける
【董卓の死】子飼いの将に裏切られ命を落とした暴君
【呂布追討】呂布に徐州を奪われた劉備、曹操とともに呂布を討つ ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
董卓の死/曹操・劉備・孫権の人物像

■第2章 三国時代のはじまり
【三顧の礼】荊州にて不遇の日々を送る劉備、諸葛亮と出会う
【赤壁の戦い】業火が曹操の水軍を焼き尽くした三国志最大の戦い
【樊城の戦い】樊城を陥落寸前まで追い詰めた関羽、呉の寝返りにより麦城に散る!
【曹操の死】曹操の死と曹丕の即位が三国時代の幕を開ける ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
三顧の礼/諸葛亮と周瑜の角逐/錦馬超/『孟徳新書』/関帝信仰

■第3章 諸葛亮の北伐
【曹丕の南征】弱体化した呉を狙うも敗退し、蜀呉同盟復活の契機となる
【第一次北伐】劉備の念願をかなえるべく、諸葛亮が長安攻略を目指す
【第五次北伐】魏の持久戦術に成す術なく、五丈原で諸葛亮の命が尽きる

■終章 三国時代の終焉
【蜀の滅亡】厭戦気分の高まる蜀になだれ込み、成都を強行軍によって占領した魏
【魏の滅亡】司馬氏に乗っ取られた魏、禅譲によって晋に取って代わられる
【呉の滅亡】暴君・孫晧の悪政に付け込んで一斉に晋軍が侵攻 ほか

監修者紹介

渡邉義浩(わたなべよしひろ)
1962年生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科史学専攻修了。早稲田大学文学学術院教授。専門は中国古代思想史。文学博士。主な著書に『三国志事典』(大修館書店)、『「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち』(講談社)、『三国志 演義から正史、そして史実へ』(中公新書)などがある。

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