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夷陵の戦い~関羽の復讐に燃える劉備~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2021年12月14日

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夷陵の戦い~関羽の復讐に燃える劉備~

200年の官渡(かんと)の戦いを制した曹操は、その後袁紹(えんしょう)の息子たちを滅ぼし、207年までに河北を掌握し、群雄のなかで随一の実力を手にしました。曹操は次の目標を荊州、そして孫家(そんけ)の支配する呉(ご)と定めて南下を開始します。

この頃、荊州の劉表(りゅうひょう)の下にあった劉備は、荊州名士(めいし)の間で評価を高めていた諸葛亮(しょかつりょう)を陣営に迎えて天下三分を基本戦略と定め、まずは曹操の南下を撃退すべく、孫権(そんけん)との同盟を締結します。

ここに三国成立の契機となる赤壁(せきへき)の戦いを迎えます。

関羽の復讐に燃える劉備、陸遜の策の前に致命的大敗を喫します。

【夷陵の戦い】長大な陣が仇となった蜀軍

221年、蜀漢(しょくかん)の皇帝を名乗った劉備(りゅうび)は、関羽(かんう)の復讐と荊州(けいしゅう)奪回に燃え、呉へ侵攻します。趙雲(ちょううん)ら群臣が反対し、張飛(ちょうひ)が家臣に暗殺される事態にも見舞われますが、それでも劉備は出陣を強行しました。

劉備軍は呉の先発隊を撃破し長江沿いを夷陵(いりょう)へと進軍。翌年には劉備自ら陣を布きました。

呉は大都督(だいととく)の陸遜(りくそん)が5万の兵でこれを迎え撃ちます。ただし、陸遜は劉備の挑発に乗らず持久戦に持ち込んだため、両軍のにらみ合いは半年以上続きました。

この時、劉備は巫(ふ)から夷陵の間にかけて50以上の陣地を築いたのですが、これが仇となってしまいます。

6月、蜀軍の油断を見た陸遜が、総攻撃に打って出たのです。乾燥した茅を持った兵が一斉に蜀の陣に火をかけると、蜀軍に一気に襲い掛かります。大混乱となった蜀軍は40余りの陣地を奪われた上、馬良(ばりょう)や張南(ちょうなん)ら将も含めて数万が討ち取られ壊滅的打撃を受けました。

【夷陵の戦い注目の武将】陸遜とはどんな武将?

「呉の四姓」の筆頭である陸氏の傍系に生まれ、のち一族の長となりました。孫権に出仕後軍歴を重ね、呂蒙に従って荊州奪還に貢献。劉備の侵攻に際して大都督に任ぜられましたが、孫堅以来の宿将たちが命に服さないため、剣を手にかけて命を順守させたとされます。その後陸遜は長期戦に持ち込むと、火攻めを仕掛けて夷陵の大勝利を得ました。

【夷陵の戦い】劉備の死と諸葛亮への遺言

夷陵の敗戦後、劉備は何とか白帝城(はくていじょう)に逃げ込みますが、そのまま死の床につき、223年4月、諸葛亮(しょかつりょう)に後事を託して没しました。

この時劉備は「息子が補佐するに足らない人物なら君が自ら皇帝になれ」と諸葛亮に遺言したとされます。この遺言については、諸葛亮に全幅の信頼を置き、実質的な後継者と宣言したものとされる一方、臣下が従えない乱命であり、劉備が諸葛亮に忠誠を誓わせようとしたものともいわれています。

【夷陵の戦い】三国志演義では?

夷陵の戦い後、劉備を追って魚腹浦へと至った陸遜は、奇妙な石の陣のなかへ迷い込みます。これは諸葛亮が仕掛けた石兵八陣(せきへいはちじん)という罠でした。陸遜は、脱出に手間取る間に劉備を逃がしてしまいます。

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【見どころ】目次より一部抜粋

■序章 三国志とはなにか?
【『三国志』と『三国志演義』】三国志といっても正史と演義のふたつが存在する
【日本人と三国志】江戸時代に始まる日本の三国志ブーム
【名士の社会】三国志の争いに大きな影響を与えた人々

■第1章 曹操の華北制覇
【黄巾の乱】太平道の張角が信徒を率いて蜂起! 群雄割拠の時代が幕を開ける
【董卓の死】子飼いの将に裏切られ命を落とした暴君
【呂布追討】呂布に徐州を奪われた劉備、曹操とともに呂布を討つ ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
董卓の死/曹操・劉備・孫権の人物像

■第2章 三国時代のはじまり
【三顧の礼】荊州にて不遇の日々を送る劉備、諸葛亮と出会う
【赤壁の戦い】業火が曹操の水軍を焼き尽くした三国志最大の戦い
【樊城の戦い】樊城を陥落寸前まで追い詰めた関羽、呉の寝返りにより麦城に散る!
【曹操の死】曹操の死と曹丕の即位が三国時代の幕を開ける ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
三顧の礼/諸葛亮と周瑜の角逐/錦馬超/『孟徳新書』/関帝信仰

■第3章 諸葛亮の北伐
【曹丕の南征】弱体化した呉を狙うも敗退し、蜀呉同盟復活の契機となる
【第一次北伐】劉備の念願をかなえるべく、諸葛亮が長安攻略を目指す
【第五次北伐】魏の持久戦術に成す術なく、五丈原で諸葛亮の命が尽きる

■終章 三国時代の終焉
【蜀の滅亡】厭戦気分の高まる蜀になだれ込み、成都を強行軍によって占領した魏
【魏の滅亡】司馬氏に乗っ取られた魏、禅譲によって晋に取って代わられる
【呉の滅亡】暴君・孫晧の悪政に付け込んで一斉に晋軍が侵攻 ほか

監修者紹介

渡邉義浩(わたなべよしひろ)
1962年生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科史学専攻修了。早稲田大学文学学術院教授。専門は中国古代思想史。文学博士。主な著書に『三国志事典』(大修館書店)、『「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち』(講談社)、『三国志 演義から正史、そして史実へ』(中公新書)などがある。

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