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根岸競馬場はどんな競馬場だった?国内初の洋式競馬場が根岸に誕生!~神奈川の産業・文化~ 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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根岸競馬場はどんな競馬場だった?国内初の洋式競馬場が根岸に誕生!~神奈川の産業・文化~

開国とともに、横浜にはさまざまな文化やモノがいち早く入ってきました。
そのひとつが洋式競馬。そして、国内初の常設の洋式競馬場は根岸に築かれたのです。
オグリキャップやディープインパクトなど、時代を駆け抜けたスターホースの登場や経済成長も相まって、今やすっかり大衆化した日本の競馬。
その産声は開港の地・横浜で上がりました。

根岸競馬場が誕生する前に日本初の洋式競馬場が横浜にあった?!

時は開港翌年の1860(万延元)年9月。杭やロープなどを使ってコースをつくり、現在の横浜元町あたりで日本初の洋式競馬が行われたと見られています。いっぽうで、競馬番組が残る最古の競馬は、1862(文久2)年5月1~2日、現在の横浜中華街付近に設けられた1周約1200mのコースで行われています。

そうした折、同年8月21日に薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件、生麦事件が東海道筋で起こります(場所は横浜市鶴見区生麦)。当然、横浜の外国人居留地社会は大混乱。英仏の要請を受けて、幕府は2国軍の横浜駐屯を認めることとなりました。

かくして競馬の舞台も駐屯地へと移り、1865(慶応元)年には英駐屯軍が中心となった「ギャリソン(駐屯軍)競馬」が、山手の練兵場や射撃場で行われています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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