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【石亭の戦い】周魴の罠にはまった曹休軍に呉軍が大打撃を与える

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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【石亭の戦い】周魴の罠にはまった曹休軍に呉軍が大打撃を与える

曹操(そうそう)に次いで劉備(りゅうび)が白帝城(はくていじょう)に没し、三国の争いの中心は蜀の諸葛亮(しょかつりょう)へと移っていきます。

劉備からその子・劉禅(りゅうぜん)と漢王朝再興を託された諸葛亮は国力の回復に尽力すると、速やかに呉と同盟を結び直し、225年、たびたび反乱を起こしていた南中を自ら大軍を率いて平定します。

後顧の憂いを断った諸葛亮は蜀漢の悲願である漢王朝復興のため、劉禅に自らの決意をしたためた「出師(すいし)の表(ひょう)」を奉り、魏討伐に出陣しました。以後、五次にわたる北伐が行なわれることとなります。

周魴の罠にはまった曹休軍に呉軍が大打撃を与えます。

【石亭の戦い】7通もの手紙を出して内応を約束した周魴

蜀の北伐に合わせて同盟国の呉は228年、揚州(ようしゅう)北部の穀倉地である淮南(わいなん)郡を魏から奪回するため動き出します。

孫権が鄱陽(はよう)太守の周魴(しゅうほう)に曹一族で揚州牧である曹休(そうきゅう)を石亭(せきてい)までおびき出すよう命令を下します。これを受けて周魴は曹休に内応したと見せかけておびき出す策を実行に移しました。

彼は7通もの手紙を曹休に送って内応を信用させたのです。

【石亭の戦い注目の武将】周魴とはどんな武将?

石亭の戦いで呉軍が曹休を破る勝利の立役者となった人物。山越(さんえつ)を扇動し、呉への侵攻を図る曹休に対して偽降を仕掛け、石亭への誘引に成功しました。戦後は反乱鎮圧に功績を挙げるなどしています。

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