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名鉄名古屋本線の歴史~かつて名古屋を境に東西で別路線だった!?~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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名鉄名古屋本線の歴史~かつて名古屋を境に東西で別路線だった!?~

戦前、名鉄名古屋本線は1本でつながっておらず、東西に別のターミナルがありました。
現在へ至るまでの歴史と名鉄が誇る名車の数々を見てみましょう。

名鉄名古屋本線の歴史:地方私鉄の集大成

名古屋鉄道(名鉄)の路線網は、20社以上もの地方私鉄が合併したことで築かれました。全長99.8㎞の名古屋本線も例外でなく、地方私鉄の集大成でした。

名鉄名古屋本線は東西で別路線だった

名古屋本線にはその昔、名鉄名古屋駅が存在せず、押切町(現在は廃止)~新岐阜間の西部線、神宮前~豊橋間の東部線に分かれ、両者はつながっていませんでした。西部線は旧・名岐鉄道が母体であり、名古屋電気鉄道、名古屋鉄道(現在と別の私鉄)、美濃電気鉄道、尾西鉄道が合併。東部線は愛知電気鉄道により開業しました。

2大私鉄の合併で名鉄が誕生!

さらに、名岐鉄道と愛知電気鉄道の2大私鉄は、1935(昭和10)年に合併し名古屋鉄道となりました。当時、西部線には流行だった流線形を採り入れたクロスシートの850系、東部線には、さらに車体の足回りをスカートで覆った3400系が投入され、東西で競うように走り豪快でした。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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