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吉田新田は横浜大発展の礎となった~神奈川県の歴史~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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吉田新田は横浜大発展の礎となった~神奈川県の歴史~

小さな漁村だった横浜は、江戸時代前期、大規模な新田開発によって変貌を遂げました。
江戸の豪商・吉田勘兵衛による吉田新田開発を見ていきましょう。

吉田新田開発前の横浜と急務だった新田開発

吉田新田開発前の横浜と急務だった新田開発
吉田橋関門跡。往時、吉田新田と太田屋新田を結ぶ吉田橋のたもとに関門を設け、武士や町人の出入りを取り締まっていた

大岡川と中村川、そしてJR京浜東北線(根岸線)で囲まれた釣り鐘状の土地は、かつて元町付近から北へ延びた砂州(砂礫が堆積した細長い地形)により、東京湾と区切られた入海でした。現在の横浜市中区や南区の中心市街地は入海で、前出の砂州が往時の横浜村。横浜は「横」に延びた「砂浜」という寒村だったのです。

それがいかにして大発展を遂げたのでしょうか。 答えは「開港」にほかなりませんが、大変身の端緒となったのは入海の埋立事業、新田開発です。江戸は爆発的な人口増を見せており、食料(米)を供給する新田の開発は急務のひとつでもありました。

吉田新田開発前の横浜と急務だった新田開発

水色で示した範囲が吉田新田。大岡川と中村川、JR京浜東北線に囲まれた釣り鐘型をしています。

馬車道

住所
神奈川県横浜市中区常盤町他
交通
みなとみらい線馬車道駅からすぐ
料金
情報なし
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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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