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宮城の戦争被害と軍事施設~陸軍や飛行場などの設置で軍都としても栄えた~ 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年1月18日

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宮城の戦争被害と軍事施設~陸軍や飛行場などの設置で軍都としても栄えた~

仙台には明治時代から陸軍歩兵師団が置かれ、前線へ将兵が送られました。
軍関連施設が多かったため、太平洋戦争末期には空爆の対象となって被災しています。

宮城の戦争被害:戦時中の困窮

1931(昭和6)年の満州事変から、日本は戦争に突き進んでいきました。1941(昭和16)年12月には米国ハワイの真珠湾を奇襲攻撃。太平洋戦争も始まりました。日本全体が、戦争一色に塗りつぶされていったのです。

戦争の激化にともなって戦時物資の製造・供給が優先されると、生活物資の不足が深刻になっていきました。宮城県では農村に綿製品が不足するようになり、1940(昭和15)年から配給制になっています。以後、砂糖、油、味噌などが切符による配給制になっていきます。

太平洋戦争が始まってからは、県内の農村も徴兵によって人手不足に陥り、収穫量が減少。食糧不足が深刻になっていき、1942(昭和17)年には米・麦の割当供給制が敷かれました。農村でさえ、食料不足に悩む事態になったのです。

軍事施設の設置により軍都としても発展した宮城・仙台

仙台は軍都でもありました。

仙台市宮城野区榴岡には1875(明治8)年から大日本帝国陸軍歩兵第四連隊が置かれ、太平洋戦争ではジャワ島、ガダルカナル、マニラ、ビルマなどの激戦地に送られました。現在、その隊舎は、仙台市歴史民俗資料館になっています。

1941(昭和16)年4月には船岡に第一海軍火薬廠が完成し爆薬製造が始まりました。太平洋戦争末期には1万人ほどが働いていたといわれます。

そのほか、名取市の玉浦や桃生郡の矢本には飛行場が造られています。

宮城に置かれた軍事施設

宮城に置かれた軍事施設

軍事施設が置かれた場所。現在は、それぞれ空港や自衛隊の駐屯地として利用されています。

宮城の戦争被害:仙台空襲では陸軍の駐屯地も標的に

太平洋戦争末期の1945(昭和20)年7月9日~10日にかけて、大規模な空襲に見舞われました。仙台空襲です。

総務省の調査によると、米軍報告書では123機のB29が飛来。仙台の上空3000mから爆撃を行い、1万2961発の焼夷弾などを投下しました。米軍によると、市街地の27%、鉄道操車場の40%、軍事施設の80%、陸軍建造物の50%を破壊したと評価しています。

仙台空襲の被害状況とは

仙台市役所防衛課の調べによると、被災した戸数は1万1933戸、被災人口は5万7321人で、1000人を超える死者が出たといわれます。

仙台城二の丸には陸軍第二師団が駐屯していたため空爆目標のひとつとなっており、10日、国宝だった仙台城大手門や隅櫓が焼け落ちました。玉浦飛行場や矢本飛行場も爆撃で被害を受けましたが、船岡の海軍火薬廠は被害を免れています。

宮城の戦争被害:仙台は焼け野原となった

仙台空襲は、終戦のおよそ1カ月前のことです。市街地は焼け野原と化し、文化財や歴史のある建物はほとんどが焼け落ちました。仙台市街に戦前の建物がほとんど残っていないのは、このためです。

1945(昭和20)年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾して連合軍に降伏しました。幕末から日清・日露戦争、太平洋戦争と続いた薩摩・長州中心の派閥政治や軍閥闘争は、この日をもって終結したといえるでしょう。

宮城は戦後の高度成長時代へ

終戦と同時に、仙台、塩竈、石巻、松島、大河原、古川、多賀城などにアメリカ占領軍が駐屯し、その状態は1952(昭和27)年まで続きました。終戦直後から県内では混乱が続き、困窮する人も多かったのですが、1960(昭和35)年、「所得倍増」政策を掲げた池田勇人内閣が誕生するころには落ち着きを取り戻し、高度経済成長の時代へと入っていきます。

闇市から生まれた現代の人気横丁

終戦直後、仙台市街地は空襲のため焼け野原になっていました。それでも、現在の仙台駅西口付近や一番町付近には粗末な小屋が立ち並び、食料や衣類を売る闇市のようになっていたといわれます。

現在、仙台駅前にあるジャンジャン横丁仙台朝市、一番町の文化横丁などは、その名残といってもいいでしょう。終戦直後とはまるで雰囲気が異なり、おしゃれな雑貨店やこだわりの飲食店などが軒を連ねて人気を呼んでいます。

闇市から生まれた現代の人気横丁

仙台朝市

仙台朝市

住所
宮城県仙台市青葉区中央3丁目~4丁目朝市通り
交通
JR仙台駅から徒歩5分
料金
店舗により異なる

文化横丁

住所
宮城県仙台市青葉区一番町2
交通
地下鉄青葉通一番町駅からすぐ
料金
店舗により異なる

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・東北最大の雷神山古墳が示す仙台・名取の有力豪族
・東北支配の拠点となった陸奥国郡山官衙と多賀城
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・敵を寄せ付けぬ天然の要害 正宗の拠点・仙台城が完成
・伊達62万石を揺るがせた伊達騒動の顛末を追う
・元禄バブル崩壊で財政危機!5代吉村が改革に乗り出した
・飛行隊基地に陸軍駐屯所など軍都としても栄えた宮城県

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