フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 宮城県 >

宮城の戦争被害と軍事施設~陸軍や飛行場などの設置で軍都としても栄えた~ 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

この記事をシェアしよう!

宮城の戦争被害と軍事施設~陸軍や飛行場などの設置で軍都としても栄えた~

仙台には明治時代から陸軍歩兵師団が置かれ、前線へ将兵が送られました。
軍関連施設が多かったため、太平洋戦争末期には空爆の対象となって被災しています。

宮城の戦争被害:戦時中の困窮

1931(昭和6)年の満州事変から、日本は戦争に突き進んでいきました。1941(昭和16)年12月には米国ハワイの真珠湾を奇襲攻撃。太平洋戦争も始まりました。日本全体が、戦争一色に塗りつぶされていったのです。

戦争の激化にともなって戦時物資の製造・供給が優先されると、生活物資の不足が深刻になっていきました。宮城県では農村に綿製品が不足するようになり、1940(昭和15)年から配給制になっています。以後、砂糖、油、味噌などが切符による配給制になっていきます。

太平洋戦争が始まってからは、県内の農村も徴兵によって人手不足に陥り、収穫量が減少。食糧不足が深刻になっていき、1942(昭和17)年には米・麦の割当供給制が敷かれました。農村でさえ、食料不足に悩む事態になったのです。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 宮城県 >

この記事に関連するタグ