フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 宮城県 >

宮城県は金山の宝庫だった?!奈良の大仏のメッキには涌谷産の金が使われていた! 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

この記事をシェアしよう!

宮城県は金山の宝庫だった?!奈良の大仏のメッキには涌谷産の金が使われていた!

かつて、宮城に金の一大産地があったことを知っているでしょうか。
奈良時代に、それまで日本では採れないと思われていた金が、宮城県涌谷(わくや)で発見されました。
涌谷は日本で初めて金が発見された土地であり、昭和の初めまで金の採取が行われていました。
それから次々と各地で金が見つかり、ゴールドラッシュが巻き起こります。

宮城県の金山:涌谷の箟岳山(ののだけやま)で採れた金が奈良の大仏に施された

宮城で金が発見されたきっかけは、743(天平15)年に「奈良の大仏」こと東大寺盧舎那仏(るしゃなぶつ)像の造立が決まったことでした。高さ約15mにも及ぶ巨大な大仏にメッキを施すため、大量の金が必要となったのです。

しかし、当時の日本では金は産出されておらず、朝鮮諸国や中国からの輸入頼りという状況。果たして十分な量の金が確保できるのか、天皇は頭を悩ませていました。

そんなさなかの749(天平21)年、陸奥守百済王敬福(むつのかみくだらのこにきしけいふく)から知らせが入りました。なんと、陸奥国小田郡(現在の涌谷町域)の箟岳山で金900両(約12.6kg)が採れたというのです。天皇はたいへん喜び、大赦や改元まで行ってこれを祝福しました。金を献上した陸奥国は3年間租税を免除され、免除が終わった後も、陸奥国は金を納入し、大仏の完成に大きな貢献を果たしました。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!