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真壁郡を430年守った真壁氏とは?権力者の抗争に翻弄されながらも命脈を守り続けた 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年1月12日

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真壁郡を430年守った真壁氏とは?権力者の抗争に翻弄されながらも命脈を守り続けた

桜川市周辺は、かつては真壁郡といわれていました。この地に根ざし、数々の抗争に巻き込まれながらも命脈を保ち続けたのが真壁氏です。

真壁郡と真壁氏の関係

真壁(まかべ)郡とは、現在の桜川市周辺にかつて存在した行政区です。平安時代中期に編さんされた『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には古代律令制における行政区画が網羅されており、そこにすでに名前が確認できます。この真壁郡を、およそ430年の長きにわたって支配し続けてきたのが真壁氏です。

真壁氏は、大掾氏の流れを汲む常陸平氏の庶流のひとつです。多気直幹(たけなおもと)の四男・長幹(たけもと)が、1172(承安2)年に真壁郡司として真壁郡に入部。多気氏から分家して真壁氏を名乗り、以後、同地で勢力を保っています。真壁城(桜川市真壁町)は長幹が築城したと伝わりますが、この時期の城の位置は明らかではありません。

真壁氏は真壁荘の地頭として鎌倉幕府の御家人に

平安時代末期、平清盛を中心とする伊勢平氏政権に対して反乱(治承・寿永の乱)が起きると、常陸国内の領主は当初は積極的な関与をしませんでしたが、やがて真壁氏は源頼朝の挙兵に呼応します。頼朝に臣従を誓ったことにより、真壁荘の地頭として任じられ、鎌倉幕府の御家人となります。

真壁氏は足利尊氏の北朝方となったことにより真壁郡の地頭職となる

鎌倉幕府の末期には、後醍醐天皇が幕府打倒を掲げて挙兵します(元弘の乱)。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による建武の新政が始まりますが、足利尊氏が光明天皇を擁立して南北朝時代に突入します。真壁氏は当初は南朝方(後醍醐天皇)に与していましたが、のちに足利尊氏の下に参じて北朝方となりました。これにより、足利尊氏から真壁郡の地頭職を安堵されるのでした。

真壁氏は京都扶持衆として持氏と対立し一時没落

足利尊氏が創始した室町幕府は京を拠点とし、関東10カ国を治めるための出先機関として鎌倉府(神奈川県鎌倉市)を設立しました。その長官が鎌倉公方(くぼう)であり、補佐役が関東管領(かんれい)です。しかし、鎌倉公方・足利持氏(もちうじ)もまた、幕府への反抗心を燃やす危険因子でした。そこで、幕府は関東・東北の一部の武士と主従関係を結び、持氏を監視させます。これらの武士は「京都扶持衆(きょうとふちしゅう)」と呼ばれ、真壁氏もその一員でした。やがて自立心を強めた持氏が京都扶持衆を征伐したため、真壁氏も一時没落します。

幕府が持氏を討ち(永享(えいきょう)の乱)、のちに持氏の遺児・成氏(しげうじ)が鎌倉公方となる。しかし、関東管領上杉氏や幕府と対立し、鎌倉府を上杉氏に奪われ、成氏は古河(こが)(古河市鴻巣)に本拠を移すことを余儀なくされます。

真壁氏を再興させた真壁朝幹

室町幕府の権威が失墜し、各地で在地領主が実力で台頭してくると、常陸国では小田、江戸、結城、多賀谷(たがや)、水谷、佐竹の諸氏が勢力争いを激化させ、戦国時代へと突入していきます。この頃、真壁朝幹が真壁氏を再興し、現存する真壁城と城下町が整備されていきました。

川に囲まれた立地。城の西に城下町が広がっています。真壁氏が出羽へ移ったあとに浅野氏が入り、町割りを完成させました。

真壁氏は佐竹氏と主従関係を結び行動を共に

いち早く一族をまとめた佐竹氏が常陸統一に向けて版図を拡大し始めると、真壁氏は佐竹氏に接近。1561(永禄4)年頃には佐竹氏と主従関係を結び、豊臣政権下では、佐竹氏の家臣として肥前名護屋(ひぜんなごや)まで出陣しています(文禄(ぶんろく)の役)。

このように真壁氏は、常に権力者の政争に翻弄されながらも、真壁郡で勢力を保ち続けます。しかし、関ヶ原の戦いで東西どちらにもつかなかった佐竹氏が出羽国への国替えを命じられたため、真壁氏もこれに随行して真壁郡を去ることとなりました。

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