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つくば研究学園都市建設が戦災からの復興を支えた 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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つくば研究学園都市建設が戦災からの復興を支えた

高度経済成長期に、筑波地区に国策としての都市開発計画がもち上がります。やがて筑波は、日本屈指の研究学園都市として発展します。

「つくば研究学園都市」は高度成長期を契機に計画が浮上

つくば市は、今日では研究学園都市として全国的に知られていますが、その契機が生まれたのは高度経済成長期のことです。首都機能が東京に一極集中したことが懸念され、官庁の集団移転計画が持ち上がり、富士山麓、赤城山麓、那須高原、筑波山麓などが候補地として挙げられました。
筑波で誘致運動を展開した結果、1963(昭和38)年9月、筑波地区に研究学園都市を建設する案が閣議で了解されたのです。かくして筑波町、大穂町(おおほまち)、豊里町(とよさとまち)、谷田部町(やたべまち)、桜村(さくらむら)、茎崎村(くきざきむら)の6カ町村にわたる広大な範囲に新都市が建設されることになりました。

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