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霞ヶ浦海軍航空隊と予科練とは?~東洋一の航空基地に設置された航空部隊~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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霞ヶ浦海軍航空隊と予科練とは?~東洋一の航空基地に設置された航空部隊~

霞ヶ浦海軍航空隊や少年兵を養成した予科練など、旧海軍施設が集中した阿見。軍需による町の発展と空襲の惨禍を伝える、貴重な戦争遺跡や史料が残ります。

霞ヶ浦海軍航空隊の設置と経緯

日露戦争・第一次世界大戦を通じ、航空機の重要性を痛感した旧日本軍は、水陸両用の飛行場建設を目指し、阿見原(あみはら)(現・阿見町)を候補地に選定します。首都圏にあり、常磐線・土浦駅の近くで、霞ヶ浦湖畔に広大な平地があることが決め手となり、1919(大正8)年、土地買収が決まりました。

明治時代から入植した開拓農民らによる立ち退き反対に遭い、買収は難航しますが、農家53戸を県内の国有地に移転させ、練習場として陸上機用に約264ヘクタール、水上機用に約16ヘクタールを取得。1921(大正10)年に霞ヶ浦飛行場を開場しました。

霞ヶ浦海軍航空隊の設置による産業構造の変化

翌年、横須賀、佐世保に次ぎ、日本で3番目の海軍航空隊となる霞ヶ浦海軍航空隊を阿見原に、同隊水上班を霞ヶ浦湖畔に設置。海軍とともに歩む町の原点となりました。
交通網の整備が進み、農家が激減し、軍関係者や施設建設の工夫、商売人が転入するなど、産業構造が変化し、人口が急増しました。

霞ヶ浦海軍航空隊の基地となった霞ヶ浦飛行場

霞ヶ浦飛行場には、1929(昭和4)年に巨大飛行船「ツェッペリン伯号」が、2年後には水上飛行機「シリウス号」でリンドバーグ夫妻が飛来。東洋一の規模を誇る航空基地として、世界的に名を馳せました。

ツェッペリン伯号の飛来

当時世界最大・全長235mの飛行船「ツェッペリン伯号(LZ127)」が1929(昭和4)年、飛行船史上初の世界一周に成功。その途中の8月19日、霞ヶ浦飛行場に着船しました。
第一次世界大戦の戦勝賠償としてドイツから移設した大格納庫があり、最先端の飛行船を整備できるアジア唯一の場所だったからです。

この歴史的偉業は新聞の報道合戦やラジオの実況放送により伝えられ、多くの人が熱狂します。23日の出発までに30万人もが見物に訪れ、世界的な航空基地として有名になりました。記念碑などは現在、霞ヶ浦駐屯地(土浦市)にあり、土浦市は同号の故郷、ドイツ・フリードリッヒスハーフェン市と友好都市を締結するなど、飛行船を活用したまちづくりを進めています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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