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半田銀山の繁栄から閉鎖まで~上杉景勝が開発しやがて五代友厚の経営に 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月18日

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半田銀山の繁栄から閉鎖まで~上杉景勝が開発しやがて五代友厚の経営に

幕府直営で繁栄し、石見、生野と並び「日本三大銀山」と称された半田銀山。
明治時代には全国一となるも、山が崩壊。
長年の治山事業で緑豊かに甦りました。

半田銀山の語源

江戸・明治時代に隆盛を極めた、全国屈指の銀鉱山、半田銀山(はんだぎんざん)(桑折町(こおりまち)・国見町(くにみまち))。

発見は平安時代の807(大同2)年と伝えられ、金属の接合に使う、鉛と錫の合金「はんだ」の語源とする説があります。はんだ付けの技術は奈良時代にはすでに使われており、真偽は不明ですが、そうした説が出るほど著名な銀山だったことがわかります。

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