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護良親王(もりよししんのう)

鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族、武将、征夷大将軍、僧侶、天台座主。後醍醐天皇の皇子。興良親王(おきよししんのう)の父。1314年、6歳で梶井門跡に入る。1325年に門跡を継承し門主、1327年には天台座主となる。『元弘の乱』が起こり、還俗して護良と改名、吉野で挙兵した。建武の新政では征夷大将軍に任命されるが、足利尊氏と折り合いが悪く、将軍を解任され、政治的地位も失くし、鎌倉に幽閉される。『中先代の乱』で殺害された。

三野村利左衛門(みのむらりざえもん)

江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の商人。三井組大番頭。三野村利八。三井財閥の中興の祖。旗本・小栗忠高に奉公した後、紀ノ国屋の美野川利八の養子となり、名を継ぐ。その後、両替商に。三井家に見込まれて御用金50万両の減免交渉を任され、成功させた。小栗と三井とのパイプ役として“通勤支配(取締役)”に任命され、利左衛門と改名。幕末には、新政府へ資金援助をするよう三井組に働きかけた。1876年に三井銀行を設立した。

井上馨(いのうえかおる)

明治時代から大正時代の政治家。外務卿・参議、農商務・内務・大蔵大臣など要職を歴任。周防国出身。長州藩の藩校明倫館で学び、江戸で蘭学を学ぶ。江戸遊学中に尊王攘夷運動に共鳴するも、イギリス留学中に開国論に転じた。藩論を開国攘夷に統一。数々の危険に遭遇するも、一命は取り留め、江戸幕府軍に勝利する。明治維新後、旧知の仲の伊藤博文と行動を共にし、政府の中枢を担う。一度政界を離れて実業家となるも復帰。外交や条約改正に尽力した。

高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)

江戸時代後期の海運業者。淡路島生まれ。兵庫を本拠地に、蝦夷地・箱館(現:函館)に進出して、北前船交易を行なう。東蝦夷地が幕府直轄となった際、幕府の物資輸送に従事し、国後島・択捉島間の航路を開拓。幕府から“蝦夷地定雇船頭(えぞちじょうやといせんどう)”を任じられた。『ゴローニン事件』では拿捕され、カムチャツカへ連行されるが、間に立って交渉し、事件を解決させた。

伊達政宗

安土桃山時代から江戸時代初期の戦国大名、武将。伊達氏第17代当主。仙台藩初代藩主。幼名・梵天丸。10歳で元服し、17歳で家督を相続。『小田原征伐』や『文禄の役』にて豊臣秀吉に服属するも、北条氏と同盟して秀吉と対立するなどした後だった事から、豊臣政権で重用されなかった。『関ヶ原の戦い』の後に徳川家康の許可を得て、仙台に城と城下町を造り、石高62万石の仙台藩が誕生。エスパーニャ(現:スペイン王国)との貿易を計画し、家康の承認を得て、「慶長遣欧使節」を派遣した。

黒田官兵衛(くろだかんべい)

戦国時代から江戸時代初期の武将、大名。播磨国姫路城主の嫡男。黒田孝高(くろだよしたか)、黒田如水(くろだじょすい)。戦国三英傑に重用された“天才軍師”。筑前国福岡藩祖。キリシタン大名でもある。嫡男は黒田長政。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕え、竹中半兵衛と共に秀吉の参謀と評された。

神屋宗湛(かみやそうたん)

戦国時代から江戸時代前期の博多商人、茶人。島井宗室(しまいそうしつ)・大賀宗九(おおがそうく)と共に“博多の三傑”と呼ばれる。家は、代々博多の貿易商。自身も貿易商となり、1582年、織田信長と安土城にて謁見。再度謁見した本能寺で『本能寺の変』に巻き込まれる。信長の死後、豊臣秀吉に謁見し、特権を与えられた。秀吉の九州平定においては資金を援助。朝鮮出兵でも後方支援を行なうなど、晩年の秀吉の側近として活躍した。

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