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【戦国時代】上杉謙信の度重なる関東出兵に北条氏康はいかにして抵抗したか?

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年5月13日

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【戦国時代】上杉謙信の度重なる関東出兵に北条氏康はいかにして抵抗したか?

関東の諸将を引き入れた上杉謙信が小田原城包囲し、武田信玄との共闘とゲリラ作戦で、謙信を撤退へ追い込みました。

上杉謙信の関東出兵~関東の諸将を引き入れ小田原城を包囲

河越夜戦に敗れた関東管領・上杉憲政を庇護下(ひごか)に置いた謙信は、上洛して将軍・足利義輝より関東侵攻の大義名分を得ると、永禄3年(1560)に関東へ出兵します。北条氏康は迎撃の必要に迫られました。

翌年になると、北条方は上野国を制圧され、続いて河越城ラインを瞬く間に突破されます。関東の諸将も次々と謙信に寝返り、3月には上杉謙信のもとに参集した10万もの大軍によって、北条本拠の小田原城が包囲されました。

上杉謙信の関東出兵~武田信玄と北条氏康の共闘で撤退へ追い込まれる

危機的状況に陥った北条氏康でありましたが、決戦を避け、堅固な小田原城に籠もって籠城策で対抗します。

その一方で城外での遊撃戦や、各地に伸びた上杉軍の兵站(へいたん)線を襲わせて、北条氏康は突破口を見出そうとしました。

さらに、同盟者である武田信玄の川中島出陣もあり、上杉謙信を撤退させることに成功。その隙に氏康は造反勢力を鎮圧して関東の失地回復を図ります。

その後も上杉謙信の関東侵攻は毎年のように続きましたが、北条氏康は武田信玄と共同で上杉謙信に抵抗し、関東の支配権を確固たるものにしていきました。

一方の上杉謙信も、長大な補給戦と、冬には関東への道が雪で閉ざされるという地理的事情からふるわず、遠征は失敗に終わりました。

戦国の豆知識:上杉謙信の関東出兵

上杉謙信の名は、長尾景虎→政虎→上杉輝虎と数次にわたって改められています。謙信は法名で、正式には「不識庵謙信」。使用を始めた時期については諸説あります。

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【第4回川中島の戦い―1561年】
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【堺の降伏―1569年】
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【大坂の夏の陣―1615年】
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『地図でスッと頭に入る戦国時代』監修者

小和田哲男(おわだてつお)
1944年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。現在、
静岡大学名誉教授。(公益財団法人)日本城郭協会理事長。専門は日本中世史。著書に
『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK 出版)、『戦国武将の生き方死に
ざま』(新人物往来社)、『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(ミネルヴァ書房)
など多数。

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