フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  東海 > 静岡県 >

伊豆への流刑時代に源頼朝が学んだこととは~静岡各地に残るゆかりの地~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

この記事をシェアしよう!

伊豆への流刑時代に源頼朝が学んだこととは~静岡各地に残るゆかりの地~

その昔、伊豆は政争に敗れた貴族たちが流刑される場所でした。
そんな中、流人の一人、源頼朝が当地で東国の武士をまとめ上げました。
この出来事をきっかけに中世が動き出します。

流刑地・伊豆と律令制の刑罰

律令制度の律には、笞(ち)・杖(じょう)・徒(ず)・流(る)・死(し)の5種類の刑罰が定められており、流刑とは、都から遠く離れた配所に送られ一定期間労役に服するものを指しました。

配所には、罪の軽重により遠流(おんる)・中流(ちゅうる)・近流(きんる)の3種類があり、伊豆国は安房・常陸・佐渡・隠岐・土佐とともに罪の重い遠流の地とされました。ちなみに、古代の伊豆国は生産力が低く「下国」と呼ばれ、国力に応じて分けられた階級のうち、一番低い位の国でした

伊豆は古くからの流刑地

『続日本後紀』承和9年7月28日条に、「貴族の橘逸勢が本姓を奪われ非人と改められて伊豆国への流罪」とあることから、平安時代初期には伊豆が流刑地であったことがわかります。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  東海 > 静岡県 >

この記事に関連するタグ