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駿府城下町「駿府九十六ヶ町」は日本の街づくりの基礎になった? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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駿府城下町「駿府九十六ヶ町」は日本の街づくりの基礎になった?

現在の静岡市街地の原型ともいえる駿府城下町。
徳川家康によって整備されたこのエリアは「駿府九十六ヶ町」とも呼ばれ、最盛期には10万人が暮らす大都市として栄えていました。

駿府城下町・駿府九十六ヶ町とは

大御所(おおごしょ)時代の家康は、陸路と水運の両面から、人と物の流れを最大限に生かす壮大な駿府の「まちづくり」を行っていました。

後に「駿府九十六ヶ町」といわれるようになった駿府城下町は、江戸時代を通じて東海道の宿場町として栄え、現在の静岡市街地の原型にもなっています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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