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加古川は水運として江戸時代の兵庫の交通と物流の要だった! 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月20日

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加古川は水運として江戸時代の兵庫の交通と物流の要だった!

明治期に鉄道が普及するまで、物流では陸路よりも水運が活用されています。兵庫県内で最大の河川である加古川は、江戸時代の播磨の交通の要でした。

加古川の水運の歴史は飛鳥時代から

加古川は、粟鹿(あわが)山を水源とする佐さ治じ川に中流域で篠山川などが合流して形成されています。全長は約96km、流域面積は1730㎢と兵庫県の面積の5分の1以上です。

古くから加古川は水運に利用され、古代には水夫や船頭を「かこ」と呼んだので、加古川の名もそれに由来するなどといわれています。

飛鳥時代の7~8世紀、街道では30里(約16km)ごとに、馬による輸送と通信の拠点として駅家(うまや)が置かれました。加古川の河口にあった賀古(加古)の駅家(現在の加古川市野口町)は最大で40頭もの馬を配置し、その西の水駅(渡船場)では、常に2~4隻の川船を配置していたとされます。

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