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福原京の今むかし~平清盛が築いた日本の首都~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月20日

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福原京の今むかし~平清盛が築いた日本の首都~

神戸にはかつて短期間ながら首都が存在しました、それが平清盛が築いた福原京です。
歴史の流れ次第では、平安時代の次が「福原時代」となっていたかもしれません。

福原京への遷都のきっかけとなった大輪田泊港

奈良時代、僧の行基は瀬戸内海に「五泊(ごとまり)」と呼ばれる5つの港を築いたと伝えられます。その1つが、現在の神戸市兵庫区の地下鉄中央市場前駅近くにあった「大輪田泊(おおわだのとまり)」です。

平安時代の末期、朝廷の有力者となっていた平清盛は、1161年から大輪田泊の港湾を本格的に整備しました。平清盛は中国大陸の宋(そう)との貿易に力を入れており、宋から来た大型船が停泊できるように港を拡充したのです。

大輪田泊からは奥州の金、硫黄(いおう)、刀剣、漆器などが輸出されるかわりに、宋の銅銭、陶磁器、織物、香料、仏典や漢学の書籍が輸入され、平家の大きな財源となりました。

大輪田泊港の防波堤「経が島」

東南からの強い波風に対する防波堤として、人工島の「経が島(きょうがしま)」が築かれました。人柱の代わりにお経を書いた岩を埋めたのが名前の由来で、広さは約650m四方あったと伝えられます。正確な位置は不明ですが、現在も新川運河の築島(つきしま)水門の近くには、経が島の工事に使われたという巨石が残されています。

当時、平清盛は大輪田泊のすぐ北の福原に別荘を築き、一族の拠点としました。平清盛は1179年、後白河(ごしらかわ)上皇を鳥羽殿(とばどの)に幽閉して政治の実権を握ります。

ところがこの翌年、反平家勢力の以仁王(もちひとおう)と源頼政が決起し、全国的に平家政権への反乱が広がったのでした。

人柱となった少年・松王丸

淡路島の北部にある絵島には、平清盛が築かせた宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建っています。大輪田泊の建設時、海が荒れるのを鎮(しず)めるため人柱が必要となり、清盛に仕える小姓の松王丸がその役を志願したのです。のちに松王丸を供養するため、この塔が築かれたのです。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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