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浅井長政の戦略地図~情けに走った決断が朝倉家との共倒れを招く

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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浅井長政の戦略地図~情けに走った決断が朝倉家との共倒れを招く

朝倉との同盟を重んじ、義兄信長を裏切りました。同盟相手に選んだ朝倉が頼りにならず衰退しました。

浅井長政の戦略地図~朝倉との同盟を重んじ義兄信長を裏切る

南近江の六角氏に臣従しながら家臣団の組織化を進めた父・浅井久政(ひさまさ)の隠居後、当主となった長政は、六角氏との争いに勝ち、大きく領土を広げました。

その後の長政の運命を大きく左右したのが織田信長との同盟と、その破棄でした。長政は、美濃攻略中の織田信長と同盟を組み、信長の妹お市(いち)と結婚します。信長という後ろ盾を得て、近江大半を領して全盛期を迎えました。

ところが元亀(げんき)元年(1570)、信長が越前の朝倉氏を攻めると、長政は突如信長を裏切り、金ヶ崎に信長を急襲しました。

長政が信長を裏切った理由は、信長が同盟締結時の約束を破り、浅井に相談なく、同盟関係にある朝倉義景を攻めたためといわれています

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