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享徳の乱~関東でひと足早く始まった戦国時代!

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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享徳の乱~関東でひと足早く始まった戦国時代!

鎌倉公方と関東管領の対立から享徳の乱が勃発すると、古河公方と堀越公方、堀越公方を支援する山内・扇谷の両上杉氏が並び立つ大規模な争乱に発展。その後、両上杉氏の対立も起こり、関東地方は長い戦いの時代が続きました。
【要点はココ!】
◎永享の乱で消滅した鎌倉府が復活しました。
◎享徳の乱では鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉氏が激しく対立しました。
◎享徳の乱後、今度は扇谷・山内の両上杉氏が争うことになり、関東はひと足早く戦国時代となりました。

享徳の乱のはじまりは公方派と管領派による争い

1447(文安4)年、鎌倉府が再興されます。長官の鎌倉公方には永享の乱で幕府軍に敗れた足利持氏の遺児足利成氏(しげうじ)が、それを補佐する関東管領には上杉憲忠(のりただ)が就任しました。

足利成氏にとって上杉憲忠は、父の仇(上杉憲実)の子でした。そう簡単に受け入れられるはずもなく、足利成氏は上杉憲忠をはじめとする上杉氏を遠ざけます。これに反発した山内(やまのうち)扇谷(おうぎがやつ)の両上杉氏が1450(宝徳2)年に挙兵しますが、幕府の仲介で収まりました。

しかし、4年後の1454(享徳3)年、足利成氏は上杉憲忠を殺害。これを機に公方派と管領派による享徳の乱(きょうとくのらん)がはじまったのです。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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