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安徳天皇は生きていた?!~大阪能勢町で発見された藤原経房の遺書~ 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2022年5月24日

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安徳天皇は生きていた?!~大阪能勢町で発見された藤原経房の遺書~

江戸末期の文化14年(1817年)、摂津国能勢(現大阪府豊能郡能勢町)の民家の屋根裏から発見された古文書は、平安の貴族藤原経房が息子にあてた遺書でした。
そこには壇ノ浦から安徳天皇を守って山里能勢まで逃れてきたこと、そして安徳天皇はこの地で亡くなられたことが書いてありました。

※この記事は、著者能勢初枝が平成23年に書籍として出版した『ある遺書-北摂能勢の安徳天皇伝承』から一部を抜粋したものです。※現在当該書籍は絶版となっています。

藤原経房の遺書が能勢町で見つかった

江戸末期の文化14(1817)年3月、摂津の国、能勢(現大阪府豊能郡能勢町)の農家で、春の屋根の葺き替えがおこなわれていました。この地方には、いまも茅葺きの立派な民家が数多く残っていて、平成の現代でも、住まいとして使われているものも少なくありません。地元では、茅葺きのことを草家と呼びます。

今から約200前のこととなりますが、その茅葺き屋根の葺き替え中に、屋根職人が妙なものが天井の梁にしっかり結わえつけられているのを見つけました。それは真っ黒に煤けた竹筒でした。
当主の辻勘兵衛(つじかんべえ)が、竹を割ってみると、隙間には石灰のようなものが詰められ、中からなにやら古文書らしきものがでてきました。汚れて墨の色も薄くなっていた上にところどころ虫に喰われていて、とても読みにくいものだったので、能勢藩国家老の大南久太郎(おおみなみきゅうたろう:1777~1833年)のところへ持ち込みました。大南は、同じ能勢藩の御用人、妙見山惣取締吟味掛であった植田兵馬(うえだへいま:1768~1827年)の協力を得て、勘兵衛立ち会いのもと、苦労してどうにか読み終えました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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