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都電のルートがそのままバスに!? 江東区の地図から見る街の移り変わり

少年B

更新日: 2023年11月24日

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都電のルートがそのままバスに!? 江東区の地図から見る街の移り変わり

「紙地図をたどれば、その町の歴史や人の営みが見えてくる」

実在しない都市の地図を描く、空想地図作家の今和泉隆行さんはそう言います。そんな今和泉さんに、今回は東京都江東区の変化について語っていただきました。

今和泉さんからは「江東区には中心地と呼べる場所がない」という衝撃的な言葉が。その理由は元々深川区と城東区という、まったく成り立ちの違う2つの区が合体して生まれたことが挙げられます。

前編となる前回は、江戸時代にまで遡り、2つの区が誕生した経緯や、江東区のなりたちについてを語っていきました。今回は近代の江東区がどのように変わっていったのかを見ていきましょう。
江東区の「前編」はこちらから。





今和泉 隆行(いまいずみ たかゆき)
1985年生まれ。7歳の頃から実在しない都市の地図=空想地図を描き続けている「空想地図作家」。地図デザイン、テレビドラマの地理監修・地図制作にも携わる他、地図を通じた人の営みを読み解き、新たな都市の見方、伝え方作りを実践している。(Twitter:@chi_ri_jin






聞き手:少年B
1985年生まれのフリーライター。地図自体に造詣が深いわけではないが、地図を見ながら「こことここの間に道路ができたら便利だなぁ」などと妄想を膨らませるのが趣味のひとつ。(Twitter:@raira21


この記事の目次

越中島と豊洲の今昔

今和泉:
1968年の地図をもうちょっと見ていきましょう。南に行くと、越中島は工場だらけですね。江戸時代に埋め立てられ、旗本屋敷と武術訓練場になりました。明治時代は練兵場。いわゆる、兵隊の訓練場ですね。

少年B:
街の役割自体は江戸時代も明治時代も変わっていないんですね。

今和泉:
そうです。そして、埋立地も広大な空き地なので、戦後になると工場や学校ができるんです。

▲越中島は、明治期は兵士の訓練場にあたる練兵場があったが、その後商船学校(現在の東京海洋大学)ができた。(1884年、1917年の地図は東京時層地図より作成)*

少年B:
学校は今もありますね。商船大学が東京海洋大学に変わっていますが、深川三中や第三商高は残ってます!

今和泉:
臨海小学校から分離した越中島小学校が開校したり、東京都立商科短期大学が併合して移転したり、といった変化はありますが、地域の用途は今も変わっていませんね。

そして、昭和初頭には豊洲が埋め立てられました。石川島播磨重工業の工場が目立ちますが、1968年の豊洲2丁目にはドックが見えます。

▲1968年から1985年にかけて、石川島播磨重工業のドックが減っており、ららぽーと豊洲になった現在は1つだけ残っている*

少年B:
1985年にはドックが2個に減ってますね。横浜と同じように、工場の縮小や移転が行われているのかな。

https://www.mapple.net/articles/original/19519/

今和泉:
このドックは今でもひとつ残っていて、現在は水上バス乗り場になっていますね。

少年B:
形が特徴的だから、こうやって比較してみるとすぐにわかりますね。

▲現在の豊洲。ららぽーと豊洲の周辺はタワーマンションが多いが、豊洲4丁目だけ小さい区画があるにドックがひとつ残っている*

今和泉:
現在ではたくさんのマンションができて、大きく発展した豊洲ですが、豊洲4丁目は1968年時点で住宅地だったはずですね。

少年B:
ええっ、なんでわかるんですか???

▲現在の地図で小さな道路に囲まれた区画は当時から健在だった。*

今和泉:
1968年の地図を見ても、ここだけ小さな道路が密集してていて、よく見ると○浴マークの銭湯までありますね。人が住んでいる生活感が感じられます。5丁目にも「石川島社宅」の文字があるので、5丁目も住宅地だったようですね。

少年B:
本当に地図だけでわかっちゃうんだ……。すごい。豊洲は昔、友達と中華を食べに行ったことがあるんですが、ちょうど4丁目のあたりでした。

今和泉:
そうですね、そういう店はほとんど4丁目側にしかないと思います。北側、西側は元々工場で、工場跡地がショッピングモールとタワーマンションになりました。

▲現在の豊洲市場にあたる場所。1998年まで東京ガス豊洲工場で都市ガスを製造していた*

少年B:
あと、豊洲といえば豊洲市場ですけど、以前は東京ガスの工場だったんですね。

今和泉:
そうです。ちなみに隣には1954年完成の火力発電所があり、当時は東京の電力の6割を発電していたそうですよ。

▲現在は豊洲市場ができ、火力発電所跡地にはテプコ豊洲ビルが建てられ、地下に変電所が建設された*

▲1968年の地図では、貨物線(越中島支線)が亀戸駅~豊洲、晴海方面に伸びている*

少年B:
発電所までは貨物線が伸びていますねぇ。まっぷるトラベルガイドでも過去に記事になっていましたが、いまも残ってたらめちゃめちゃ便利では……?

そういえば、最近東京メトロの有楽町線がこれに近いルートで延伸予定というニュースがありましたよね。豊洲駅から東陽町駅を通って住吉駅まで、江東区を縦断するというルートで。

今和泉:
一応、今も越中島貨物駅から亀戸駅までは越中島支線という貨物線として残っているんですよね。越中島支線LRT化構想というのもあるそうですよ。

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<商品の概要>
◆収録されている都市地図の刊行年 「1968年」「1985年」「2001年」「2014年」

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

筆者
少年B

1985年生まれのフリーライター。地図自体に造詣が深いわけではないが、地図を見ながら「こことここの間に道路ができたら便利だなぁ」などと妄想を膨らませるのが趣味のひとつ。(Twitter:@raira21