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杉並で誕生した「ゼロ戦」のエンジン 【東京都杉並区】

オフィス プラネイロ

更新日: 2023年11月24日

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杉並で誕生した「ゼロ戦」のエンジン 【東京都杉並区】

今からおよそ80年前、太平洋戦争で主力戦闘機として使用された「零式艦上戦闘機」。「ゼロ戦」とも呼ばれる、この歴史上名高い飛行機には、杉並区にあった「ある施設」が深く関係していました。昭和の地図から時空を旅する「古地図さんぽ」、今回は、そんな過去をもつ「ある施設」の足跡を辿っていきます。

タイトル写真:現在の桃井原っぱ公園/PIXTA

1968年 杉並区荻窪付近の地図です

1968(昭和43)年昭文社刊行「杉並区全図」より(真上が北東方向)

こちらは、今から半世紀ほど昔、1968年の杉並区地図です。切り取った範囲は、荻窪駅とその北側のエリア。杉並区は、東京23区西端部の武蔵野台地上に位置し、1932年に東京市に編入され誕生しました。右下の鉄道は国鉄(現JR東日本)中央線で、荻窪駅を中心に商業地が形成されています。その部分を拡大してみましょう。

荻窪駅の「おぎくぼ」という文字の脇には、赤字で「S」のようなマークがあります。これは当時の「帝都高速度交通営団」(通称・営団 現・東京メトロ)のロゴで、この地図では地下鉄駅を示しています。この営団荻窪線(現丸ノ内線)は、1962年新宿~荻窪間が全線開通しました。その後、営団地下鉄が東京地下鉄(東京メトロ)となったのは2004年のこと。それからもう20年近くが経過しています。

駅の周囲をみると、「富士製鉄」(現・日本製鉄)「北海道拓殖銀行」(のちに廃業)「荻窪電報電話局」など、時代を感じさせる名称に目が留まります。また、○に「浴」のシンボルは「銭湯」を表していますが、これらが駅のそばに何軒も見つかります。当時の住宅事情が伺い知れます。

初めの地図に戻りましょう。駅北側の青梅街道をたどっていくと、少し先に「日産プリンス自動車工場」とあります。
このような住宅地の中に大きな自動車工場・・・自動車の工場といえば郊外にあるもの、と思っていた自分には、少々違和感を覚えました。

早速、この工場について調べてみました。
すると、全く予想していなかった過去にたどり着きました。この地は、歴史に名を刻むべき場所だったのです。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。

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