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町工場や大工場の変化を追う

今和泉:
空港以外にも大田区を象徴するのは町工場です。町工場のみならず、大きな工場もあります。さきほどの羽田クロノゲートのあたりを、新旧の地図を並べて見てみましょう。

▲羽田クロノゲートの北側にも工場がある(クリックで拡大)

今和泉:
さきほど紹介した「羽田クロノゲート」は、以前エバラコーポレーション(荏原製作所)だったようです。2021年の地図では南東に小さく「荏原」と書いてあるのが本社で、工場はなくなっても本社は残っています。

少年B:
隣の羽田旭小もなくなってる……?

今和泉:
工場が物流施設に、そして羽田旭小は廃校になって創業支援施設とコミュニティセンターに。時代の変化を感じます。とはいえ北側の東糀谷6丁目はいまでも工場がたくさん残っています。

少年B:
その北のMFIPはもともと日本通運だったみたいで、ここはずっと変わってないんですね。

今和泉:
それがそうでもないんです。それより前の地図を見てみましょう。

▲羽田クロノゲート付近の1968・1985年の地図。1968年はたくさんの工場で埋め尽くされている。(クリックで拡大)

今和泉:荏原製作所の北側、1985年の時点では空き地になってますが、1968年は大谷重工業羽田工場でした。その他、東芝電気、早川鉄工の工場があったのが見えます。

少年B:1985年にはなくなってる……!

今和泉:大谷重工業の跡地がMFIPになっている他にも、東芝電気の工場跡地はANA訓練センターに、早川鉄工の工場跡地は東糀谷防災公園になっています。

少年B:
ほんとだ。しかし全体を見渡してみても、大田区は全体的に工場が多いですね。東糀谷6丁目だけでなく、今も昔も変わらず残っているところもあります。

今和泉:
その他、多摩川沿いにも工場が多かったんですよね。南六郷と本羽田のあたりを見てみましょう。 今はけっこうなくなっていますが。

▲1985年と2021年の違い。南六郷と本羽田は工場が多かったが……(クリックで拡大)

少年B:
オリンピックやコーナンといった商業施設や公園が、昔は工場だったんですね。もうちょっと細かく見てみたいです。

▲1968年は工場が密集していたが、2021年は公団住宅やマンションになっている(クリックで拡大)

今和泉:
さきほどの地図の中央部、南六郷2丁目ですが、ここは1980年代の段階で工場跡地が公団住宅やマンションになっています。

少年B:
ここは1985年の時点でほぼ今の形になってるんですね。

▲第一パン(第一屋製パン)の工場跡地は学校に、新家工業の跡地はコーナンになっている(クリックで拡大)

今和泉:
一方、2000年頃まで工場があったところもあります。よくコンビニやスーパーで見る「第一パン」(第一屋製パン)の工場は東六郷2丁目にあったようです。1969年に工場の半分が都立養護学校(現在の城南特別支援学校)に、もう半分が2004年に六郷工科高校になっています。

少年B:
工場だったところに学校が2つも!

今和泉:
学校は広い敷地を要しますが、工場跡地は広い敷地として貴重なのだと思います。新家工業の跡地はホームセンターのコーナンになっています。ホームセンターも床面積の広さが必要ですよね。

少年B:
蒲田や大森のような駅チカにはさすがに工場跡地はないですよね?

今和泉:
それがあるんですよ。駅チカになると大型複合施設になります。蒲田駅から徒歩3分ほどのところにあるアロマスクエアとか。これは元々、高砂香料工業の工場だったようです。

▲1985年と2001年の蒲田駅周辺。どこも大型の複合施設に再開発されている。(クリックで拡大)

少年B:
香料の工場だからアロマスクエア! まさに亀戸駅前、セイコーインスツル跡地のカメイドクロックと同じ現象ですね!

◆詳しくはこちら◆江東区は葛飾だった!? 古地図から見る街の移り変わり

今和泉:
南蒲田2丁目の東京計器製造所は工場をなくして本社機能のあるオフィスビルを東側の隅に残したパターンです。さきほどの荏原製作所と一緒ですね。

そして、大部分の敷地は「テクノポート蒲田」になってます。同時に京急蒲田駅近くの都立中央青果市場の跡地は「産業プラザPIO」になってます。

少年B:
へぇ、それぞれどんなスポットなんでしょう?

今和泉:
テクノポート蒲田は複数の企業が入る大型のオフィスビル、産業プラザPIOは大型の公共施設で、貸し会議室の他、展示やコンベンションが可能な貸しスペースもあります。

アロマスクエアはこの2つが合わさったような施設です。蒲田は下町の印象がありますが、都心からも空港からも近いので、オフィス需要のポテンシャルが相当あるんでしょうね。

▲大森駅東口、アサヒビール工場跡地がイトーヨーカドー、ディスコ(企業オフィス)になっている(クリックで拡大)

今和泉:
大森駅付近も工場跡地が再開発されてます。こちらは大型商業施設で、いかにも駅チカの開発、という印象です。

▲1968年の蒲田〜大森間。銭湯(◯浴マーク)の多さが目に付く(クリックで拡大)

今和泉:
あとは、1968年の地図を見ると、大田区は銭湯がすごく多いんです。蒲田や大森、羽田に至るまで、徒歩5分圏内にいくつも銭湯があるんじゃないか?ってぐらいの感覚でずっとあります。

今はさすがにそんなにない……けど、Googleマップで銭湯と検索してみると、思ってたよりは全然ありますね。これは驚きでした。

少年B:
温泉が湧くからですかね……? わたしは温泉が好きなんですが、大田区はモール泉っていう、泥炭(亜炭)などに由来する腐植物を含んだ温泉がたくさん出るんです。一般的には「黒湯」なんて言いますけど。温泉銭湯も多い印象があります。

今和泉:
ああ、蒲田温泉みたいな感じのお湯ですね。それもあるのかな……。あとは単純に工場労働者が多いのもあると思います。力仕事のあとはひとっ風呂浴びたいですよね。

▲蒲田温泉の黒湯

今和泉:
今調べたら、大田区は今でも都内で銭湯が一番ある街だそうですよ。それは私も知りませんでした。

少年B:
大田区の中心というと、やっぱり蒲田になるんでしょうかねぇ。それとも大森?

今和泉:
そのへんですね。大田区って、大森と蒲田の合成地名なんですよ。だから「太田」じゃなくて「大田」なんです。

少年B:
ええっ、そうだったんですか!? 知らなかった!

まだまだあるぞ、大田区の今昔

今和泉:
あとは、イメージが薄いかもしれませんが、田園調布も大田区ですよ。じつは高級住宅街の一面もある。ただ、地図上の変化はほぼありません。個人店は変わっていると思うんですが、住宅地の小さな店舗なので、さすがに地図ではわかりませんね。

▲1968と2021年の田園調布。一般住宅のため、地図で追える変化はないが、「田園コロシアム」が目を引く(クリックで拡大)

少年B:
田園調布には、さすがに銭湯はないですね。でも、1968年の地図を見ていたら「田園コロシアム」なんて穏やかじゃない名前が出てきました。

今和泉:
今もあるテニスコート・田園テニス倶楽部の屋内会場で、コンサートやプロレスやボクシング、ビッグマッチの会場としても利用されたようです。

ただ、こちらは江東区のときに話した、お台場にある有明テニスの森のオープンなどの影響で80年代に閉鎖したそうです。そういえば、テニスの森には有明コロシアムって名前のスタジアムがありますよね。

◆詳しくはこちら◆都電のルートがそのままバスに!? 江東区の地図から見る街の移り変わり

少年B:
コロシアムが動いたのか……! なんか文字にするとおもしろいですね。お台場の話が出たので埋立地にも注目したいんですが、1968年は京浜島がないし、大井も道路が計画中になってますね。

▲1968〜2021年の大井ふ頭の変化。埋立地が少しずつ埋まっていく(クリックで拡大)

今和泉:
大井は城南島と合体して、だいぶ形が変わりましたね。1985年にはバンの池という池があったようですが、今はそこが大田市場になりました。

大田市場は築地の過密解消を目的に計画されたそうで、結局築地は移転しなかったんですが、秋葉原UDXの位置にあった神田市場と荏原市場が合併するような形で大田に移ってきました。荏原市場の蒲田分場が、さきほど紹介した産業プラザPIOになってます。

▲大田市場ができる前後の1985年と2001年。バンの池が大田市場に変わっており、汐入の池は少し動いている(クリックで拡大)

少年B:
大田といえば青果ですよね。そういう経緯でできたんだなぁ。今は令和島の一部も大田区ですよね。帰属で江東区と揉めた経緯があるという。

今和泉:
あとは、平和島が1968年だとまだ「島」ですね。1985年には埋め立てられたところに平和の森公園ができて、地続きになり……町名も「平和の森公園」なんですね。平和島自体も埋立地で、1939年に工事が始まり、1967年に竣工しています。

▲平和島の変化。1968年は島だったが、1985年には埋め立てられたところに平和の森公園ができ、地続きになった(クリックで拡大)

少年B:
1968年のときは出来立てほやほやなんだ! そんな昔から埋め立てられていたんですね。

今和泉:
戦時中は捕虜の収容所、戦後は戦犯の一時収容所で、東條英機もここにいたことがあったそうです。戦争を忘れないために「平和島」という名前にしたようですよ。

▲戦後間もない1946年は現在の平和島の北西端だけができてたが、おそらくここが収容所だったのだろう(クリックで拡大)
※1946年の写真は国土地理院「空中写真」を使用

今和泉:
1968年の地図に残るボーリング場と温泉が怪しいな……と思ったんですが、1946年の航空写真を見ると本当にここが収容所っぽいです。ビンゴですね。

少年B:
そこまでわかっちゃうの、すごすぎますね……!

今和泉:
それにしても、大森本町と収容所を結んでいた橋が、今は「平和橋」なんですね……。

少年B:
なんというか、由来を知ると重いネーミングだなぁ。

地図初心者にこそ見てほしい、大田区の変化

羽田空港や時代による物流の進歩、埋め立て地など、見た目にも変化がわかりやすい大田区。わかりやすい変化が大きいということは、イメージを想像しやすいということ。

大田区は、地図に慣れていない人でも「どうしてこうなったんだろう?」と考えを膨らませやすい街だなぁという印象を持ちました。街の歴史や、そこに暮らしていた人たちの生活ぶりを想像するのも楽しいものですよ。

今和泉さんの地図話はまだまだ続きます。

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昭文社が刊行してきた都市地図には、道路や鉄道、河川など街の骨格となる情報はもちろん、町丁名や地番、学校・役場などの公共的施設から、住宅団地やアパート、スーパー・デパート、工場や倉庫などの民間施設まで豊富に掲載してきました。収録内容も時代とともに変化するなど、地図はその時々の景観や暮らしが垣間見える「街の記憶」でもあります。

この商品は昭和40年代以降に出版した大判の都市地図から、時代の変化がわかる4世代の地図を選出・複製し、どこでも手軽に利用できる電子書籍として編集・構成したものです。

銭湯や映画館、銀行や郵便ポストなど生活密着の情報から、住宅団地の整備、工場跡地の再開発まで、様々な街の様子や移り変わりを地図から読み解きつつ、昭和から平成に至る社会の変化と合わせて時間を辿ってみてはいかがでしょうか。

<商品の概要>
◆収録されている都市地図の刊行年 「1968年」「1985年」「2001年」「2014年」

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

筆者
少年B

1985年生まれのフリーライター。地図自体に造詣が深いわけではないが、地図を見ながら「こことここの間に道路ができたら便利だなぁ」などと妄想を膨らませるのが趣味のひとつ。(Twitter:@raira21

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