フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー > 

藤原清衡

京から陸奥国府の官僚として赴任してきたといわれる藤原経清(ふじわらのつねきよ)の長男として生まれる。母は安倍頼時の娘。
源頼義と争っていた安倍氏が敗れ、父、経清もそれに伴い斬首となる。残された母は清原氏の嫡男と再婚。
その後、清原家の異父兄弟であった家衡と争い、そのときに陸奥守であった源義家の助力もあって勝利。その結果、安倍氏、清原氏の領土を引き継ぐことになり、平安時代後期に、奥州という広大な土地を支配した奥州藤原家の初代当主となる。
藤原清衡は、中尊寺を建立し金色堂を建て、5000巻を超える写経(紺紙金銀字交書一切経)をし、父や兄弟、兵士らの菩提を弔った。「東北を仏国土にする」というのが藤原清衡の願いであったといわれる。

藤原清衡の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

1〜2件を表示 / 全 2件

清原氏は後三年合戦により滅亡した~北東北を支配した出羽の豪族~

平安時代後期の東北は、前九年合戦と後三年合戦で揺れました。 両合戦ともに、現在の横手市付近を拠点とした清原氏が大きく関与していました。...

前九年の役・後三年の役が終結して奥州の平泉文化は花開いた

奥州では安倍氏が朝廷に背き、前九年の役が起こります。 鎮圧に功のあった清原氏でも内紛(後三年の役)が起き、やがて奥州藤原氏が台頭します。...