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イタリア統一とローマ

1805年、フランス皇帝ナポレオンはイタリア王の称号を得て、翌1806年には神聖ローマ帝国を崩壊に追い込んだ。しかし、1814年にナポレオンは皇帝の座を退位。イタリアの君主の座はしばらく空位となり、ローマは再び教皇領となった。1861年、サルデーニャ王であったサヴォイア家のヴィットリオ・エマヌエーレ2世のもとイタリアの大部分が統一され、イタリア王国が成立。教皇領の首都であったローマは1870年に、教皇領は1871年にイタリア王国に併合され、ローマが王国の首都となった。その後イタリア王国の指導者になったのはファシスト党の党首ムッソリーニで、ローマ教皇庁は1929年にムッソリーニとラテラーノ条約を結び、教皇領を放棄する代わりにヴァチカン市国として独立した。ムッソリーニは、ローマ郊外にローマ万国博覧会のための新都市、EUR(エウル)の建設を始めたが、ドイツ・イタリア・日本を枢軸国とした第二次世界大戦の開戦により、EURの建設は中止となる。各戦線で敗戦を重ねていたイタリアでは、ムッソリーニが失脚、1945年、新政府は無条件降伏をした。

欧州連合の中枢として

敗戦後の1946年6月、共和制への移行を問う国民投票が行なわれ、イタリア共和国が誕生。現在、ローマはイタリア共和国の首都、ラツィオ州の州都、ローマ県の県都として政治・経済・文化の中心的存在となっている。また、EU(欧州連合)の主要都市であり、カトリック教会の中心地として、国内を代表する企業の本社、国際機関や多国籍企業の本拠地が集まり、発展を続けている。

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イタリア統一の偉業を讃えた、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。ネオ・クラシック様式の建造物

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筆者

奥付:
この記事の出展元は「トラベルデイズ イタリア」です。掲載している情報は、2014年10月〜2015年1月の取材・調査によるものです。掲載している情報、商品、料理、宿泊料金などに関しては、取材および調査時のもので、実際に旅行される際には変更されている場合があります。最新の情報は、現地の観光案内所などでご確認ください。

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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