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ドイツの歴史 分裂と統一を繰り返して

ベルリンを分断させた夜

戦後のドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国に分割支配された。東ドイツを占領したソ連が、アメリカ、イギリス、フランスの占領地区である西ドイツが行なった通貨改革に反発、東ドイツも独自の通貨を導入し、交通を封鎖するなどして対立しドイツは分裂へと向かう。1949年、東にドイツ民主共和国、西にドイツ連邦共和国が誕生した。西ドイツは議会制民主主義、東ドイツは社会主義体制となった。だが一党支配体制の東ドイツから、自由で豊かな西ドイツへの人口流出が深刻化。逃亡防止のため、1961年、東ドイツ領内にある分割占領された都市ベルリンに東ドイツが一夜にしてベルリンの壁を築いた。

ソ連のゴルバチョフによる改革は、東ドイツにも影響を及ぼした。1989年には民主化要求などを求めて国民が各地で抗議行動を起こし、同年11月にベルリンの壁で大量越境が勃発、東西の自由往来が認められるようになった。ここに半世紀に及んだドイツの東西分断は幕切れを迎える。

壁の崩壊から現在、未来へ

ベルリンの壁が崩壊した翌年の1990年、西ドイツが東ドイツを併合するという形で東西ドイツは統一を果たした。統一によりヨーロッパ最大の人口と経済力を持つ国となったドイツは、近隣諸国からの警戒感を払拭するため、欧州統合を推進する。1992年にマーストリヒト条約によりEUが成立、1999年には共通通貨(ユーロ)が導入された。ドイツは2007年に議長国を務めるなど、EUの中心的役割を担っている。ナチス時代という負の過去も、旧交戦国との間で歴史教科書をめぐる対話が進められ、一国としてではなく、地域としての歴史認識の構築を推進している。「過去に起こした過ちを忘れないため」。そんなドイツ国民の気持ちを表すように、ベルリンの街には当時の記憶が数多く残されている。

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ベルリンのミューレン通り、ベルナウアー通りには、東西ドイツ分断の象徴である壁の一部が現在も残っている

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この記事の出展元は「トラベルデイズ ドイツ」です。掲載されているデータは、2015年12月〜2016年3月の取材・調査によるものです。掲載している情報、商品、料理、宿泊料金などに関しては、取材および調査時のもので、実際に旅行される際には変更されている場合があります。 最新の情報は、現地の観光案内所などでご確認ください。