花田欣也のすばらしきトンネル道

普段何気なく通るトンネルだが、日本全国には道路トンネルが約11,000本、鉄道トンネルは約5,000本あるといわれている。とくに各地の旧道や廃線跡などには、かつて地域交通や産業の重要なルートとなっていた歴史を秘めながら、今は通る人も少なく山中にひっそりと佇んでいるトンネルが多く存在する。
そんな全国のトンネルの中から自治体や事業者に通行を許可され、「安全・安心」に見る・歩くことができるトンネルをその魅力とともに紹介していこう。

今回紹介するのは群馬県安中市、長野県軽井沢町にまたがる碓氷峠(うすいとうげ)のトンネル群。整備された遊歩道に10本のトンネルが残る明治中期開通の“旧線”、長野行新幹線(北陸新幹線)の開通で1997(平成9)年に廃線となった“新線”と2路線のトンネル群が残っている。

※トンネルは現地状況により通行できない場合もあります。事前に地元の関係先(自治体の観光課や観光協会など)に確認されると安心です。

文・写真(特記以外)/花田欣也

花田欣也

トンネルツーリズムプランナー(トンネル探究家)、総務省 地域力創造アドバイザー、一般財団法人地域活性化センター フェロー
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群馬県安中市、長野県軽井沢町

碓氷峠のトンネル群
~生きたトンネル博物館

新線、旧線のトンネルが並び、その構造から時代の変遷も感じられる熊ノ平(旧信号場・駅跡)

山地が国土の7割以上を占めるわが国において、明治以来、鉄道網の形成に伴い、実に多くの鉄道トンネルが設けられた。火山が多く、地震や風水害などの自然災害も多い中でのトンネルの工事は、しばしば難儀を極めたが、技術の革新を繰り返しながら、1988(昭和63)年には全長約53kmに及ぶ青函トンネルの開通に至り、現在日本のトンネル掘削技術は世界でトップレベルとされている。

鉄道廃線トンネルの中で「東西の名横綱」をあえて挙げるとしたら、迷いに迷うが、東は碓氷峠のトンネル群としたい。

関東と信州をつないだ碓氷峠のトンネル群/出典:地理院地図Vectorを加工

明治の開通当時、信越本線横川~軽井沢間の勾配は66.7パーミル。1kmで66.7mも上るという国鉄史上空前の勾配に、ドイツで考案されたラックレールを使用した「アプト式軌道*」により鉄道が開通したのは1893(明治26)年のこと。軽井沢の先には浅間山が聳え、横川から急勾配が延々と続く線形だった。

この区間には、大別して、2世代の廃線トンネル群が現存する。

ひとつは上記の明治中期に開通した“旧線”で、現在「アプトの道」として整備された遊歩道に、10本のトンネルが残る(当時は26本あったが、熊ノ平~軽井沢間のトンネルは閉鎖もしくは新線化されている)。
周辺の鉄道施設とともに国の重要文化財に指定されており、特に、途中の碓氷第三橋梁(通称「めがね橋」)の煉瓦の4連アーチ橋は我が国最大級のもので、真下から眺めると壮観だ。

もうひとつは、長野行新幹線(北陸新幹線)の開通により1997(平成9)年に廃線となった“新線”のトンネル群。急峻な地形のため、やや離れて敷設された上り線(18本)、下り線(11本)、計29本ものトンネルを、一般社団法人安中市観光機構で通年開催されているイベント「廃線ウォーク」開催時のみガイド付きで通行することができる。締めて計39本のトンネルを現在も通れるわけだが、この峠における激烈とも言える鉄道史とその先駆性を顧みると、永遠に残すべき貴重な鉄道遺産であると思う。

アプト式時代の信越本線碓氷峠/1937(昭和12)年頃 ※「今昔マップ」より作成

※アプト式軌道

急な勾配区間を確実に上り下りするため、線路の中央にノコギリの刃状のレールを設置し、機関車に設けた歯車を噛み合わせて走行する特別な鉄道の仕組み。主に欧州の登山鉄道で発達したが、碓氷峠のように輸送力が必要な幹線での採用は世界でも希少であった。現在国内では静岡県の大井川鉄道の一部で使用されている。

”旧線”「アプトの道」の
トンネル

旧線6号トンネル横川側の見事な翼壁(ウイング)

“旧線”「アプトの道」では、現存中最長の第6トンネル(546m)をぜひ歩いてほしい。
66.7パーミルの勾配を足に直感するほどの傾斜が続く内部は、S字にカーブしている。明治の開通後、蒸気機関車が勾配を上る時速はわずか8km程度と推定され、単線の狭いトンネル内で乗務員は煤煙に巻かれ、窒息のリスクと戦っていた。
また乗客も、あまりの煙に我慢できずに降りて歩き出す人もいたという。

旧線6号トンネル内の横坑

旧線6号トンネルの急カーブ

そのため、トンネル内に複数の横坑、天井部には円形の排気溝も設けられ、さらにはトンネルの片側に「隧道幕」と呼ばれる布製の幕を設置し、「隧道番」が常駐して列車が入るや否や巨大な幕を下ろし、トンネル内に流入する煤煙を防いだという。

それら労苦の跡は、煉瓦の側壁にこびりついた真っ黒い煤から感じられる。このトンネルから横川方面へ出ると碓氷第三橋梁(めがね橋)を渡るが、その先の第5トンネルまでの間は、紅葉の秋はもちろん、峠を取り巻く山々を見渡せて気持ちのいいスポットだ。
ちなみに、めがね橋の煉瓦は約200万個を使ったと言われ、遠く埼玉県の深谷などから良質な煉瓦を貨車で運び、横川からは現在の国道18号線に馬車鉄道を敷設して輸送された。

旧線「アプトの道」の碓氷第三橋梁(めがね橋)

“新線”のトンネルへは安中市
観光機構の「廃線ウォーク」で

“新線”のトンネルは、“旧線”とは時代が異なるので、その素材も煉瓦や石から近代的なコンクリートに変わっている。一部のトンネルでは1Kmを超える闇が続き、目をつぶると「碓氷の“地山”(じやま)の中にいる自分」を実感できる。

新線「廃線ウォーク」でトンネル内の場内信号機が点灯

「廃線ウォーク」では、鉄道やトンネルファン以外でも楽しめるよう、道中さまざまな工夫が凝らされており、例えば、長大なトンネル内で場内信号機が点灯したり、当時トンネル内の待避坑に設けられていた非常用の鉄道電話を手にした撮影タイムも設けられている。また、先の新型コロナウイルスのステイホーム期間中には自宅でも楽しめるよう、VRによるワイドな展望画像とAIキャラクターを活用したyou-tube動画を公開して人気を呼び、第25回「ふるさとイベント大賞」(主催:一般財団法人地域活性化センター)の優秀賞も受賞している。

私は安中市観光機構から「碓氷峠トンネルツーリズムプランナー」というありがたい肩書を頂いて年に2回ほど「廃線ウォーク」の特別講師を務めているが、現在は首都圏のみならず全国から幅広い世代の多くのお客様が参加されている。

新線「廃線ウォーク」で味わう名物駅弁「峠の釜めし」

昼食はお馴染みの「峠の釜めし」を線路の上などで頂くが、「廃線ウォーク」オリジナルの掛け紙付き。撮影スポットも多く、トンネル内から外を眺めると、まるでトンネルの逆U字型の断面が額縁のように見える風景写真が撮れ、四季折々の自然が目に鮮やかで美しい。

新線のトンネル。シルエットは筆者

新線「廃線ウォーク」途中の眺望、旧線の碓氷第三橋梁(めがね橋)も見える

そうしたシーンの細やかな案内があるのでありがたいが、実は、春・夏の草刈りから始まり、企画・運営も一貫して安中市観光機構の皆さんが尽力を重ねられ、そのおかげで安全に楽しめる。

企画担当でガイドもされる上原将太さんの祖父は、碓氷峠専用の電気機関車ED42形を運転されていた。また、最近は地元の醬油屋さんとコラボし、温度・湿度が比較的一定している新線トンネル内で「トンネル醤油」を熟成され、販売の予定もあるという。地域の人たちが、稀代の鉄道遺産を大切にし、幅広い世代に楽しんでもらおうという地域活性化の取組は素晴らしいことだ。

碓氷峠で専用機関車ED42の機関士を務めていた祖父と安中市観光機構の上原将太さん

※写真提供(一部):一般社団法人安中市観光機構