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2017年10月10日

オーストラリア

オーストラリアの歴史 移民・多文化国家としての成り立ち

by mapple

2つの世界大戦

1914年にイギリスがドイツに宣戦布告すると、オーストラリアも第一次世界大戦への参戦を表明する。南太平洋のドイツ植民地を占領、ニュージーランドとともにアンザック軍を結成する。1915年にドイツの同盟国であるトルコにアンザック軍が進軍、首都イスタンブール陥落をめざすガリポリ作戦を行なうが、33万人の兵士のうち6万人の戦死者を出す。犠牲は大きかったが、これを機に1919年には国際連盟加入が認められる。

第二次世界大戦では、1941年に日本軍が真珠湾を攻撃した際に、アメリカ、イギリスとともにオーストラリアも宣戦布告する。日本軍にダーウィンやシドニーを攻撃され、3万人の犠牲者を出した。

2度の世界大戦を経て、人口減という深刻な社会問題を抱えるようになったオーストラリア。国防、経済面などから人口の増加が必要と判断し、移民受け入れへと政策を転換する。

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アンザック戦争記念館は兵士を祀っている(シドニー)

多文化国家として

第二次世界大戦後、オーストラリアはアジア、東欧、中東、南欧などから移民を受け入れるようになった。1958年にはアジア系移民を拒否するため行なわれていたテストを廃止、1972年には移民制限が廃された。白豪主義の時代は終焉を迎え、アジアとの経済関係を拡大させてゆく。

積極的な移民政策により、戦後700万人だった人口は1959年には1000万人を超え、経済発展をもたらした。インドシナ難民も多数受け入れ、アジア系社会を包括する多文化社会へと歩みだす。

先住民アボリジナルへの差別的な法も撤廃されてゆく。1967年には連邦憲法によって正式にオーストラリア国民としてアボリジナルを認め、人口にも含まれるようになった。1985年にアボリジナルの聖地であるエアーズ・ロック(ウルル)が返還され、1992年にはアボリジナルの先住権が正式に認められる。

ヨーロッパ、アジア、そしてアボリジナルの文化が融合し、多文化国家としての道を歩むオーストラリア。現在は200を超える国からの移民が暮らしており、生活水準の高さと社会福祉が充実した国として知られる。世界で最も暮らしやすい都市ランキングでも多くの都市が上位を占める人気の国となっている。

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都市にはチャイナタウンやベトナム系住民などが集まる街があり、多文化国家であることを実感する

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迫害の歴史をたどりながらも、独自の文化を守り続ける先住民アボリジナル。現在は3/4が都市部や街で生活をしており、街なかでパフォーマンスをする姿も見られる

オーストラリア歴史年表

5万年前 アボリジナルの祖先がアジアからオーストラリア大陸に渡ったと考えられる

2万年前 解氷期が訪れる
1万年以上かけ海水面が上昇し、オーストラリア大陸が孤立する

1606 オランダ人ヤンスがヨーク岬に到達
スペイン人トレスがトレス海峡通過

1642 オランダ人タスマンがタスマニア島とニュージーランドを発見

1718 イギリスで流刑法が成立
アメリカへ囚人の移送を始める

1770 ジェームズ・クックがボタニー湾に上陸
オーストラリア東部のイギリス領有を宣言する

1776 アメリカ独立戦争でイギリスが敗北

1788 アーサー・フィリップが囚人を率いてシドニー・コーヴに上陸
イギリスの入植が始まる

1797 ジョン・マッカーサーがメリノ羊を輸入。羊毛産業の基礎をつくる

1803 タスマニアへの入植が始まる

1808 シドニーでラム酒の反乱

1824 クイーンズランドへの入植が始まる

1829 パースへの入植が始まる

1835 メルボルンへの入植が始まる

1836 アデレードへの入植が始まる

1840 ニュー・サウス・ウェールズへの囚人の移送を廃止

1850 オーストラリア植民地政府法成立。自治政府の形成が承認され、独立した植民地になる

1851 ニュー・サウス・ウェールズやヴィクトリアで金が見つかる
ゴールド・ラッシュの始まり

1854 ユーレカ砦の反乱

1855 ニュー・サウス・ウェールズ、ヴィクトリア、タスマニアで自治政府が誕生

1870 英国駐留軍の撤退

1880 メルボルンで万国博覧会開催

1890 西オーストラリアに自治政府が誕生
経済恐慌発生。ストが多発

1891 オーストラリア連邦の結成に向けて最初の会議が開かれる

1901 オーストラリア連邦成立
移住制限法施行

1914 第一次世界大戦勃発

1915 アンザック軍、ガリポリに上陸
多数の犠牲者を出す

1917 大陸横断鉄道が完成

1927 キャンベラに首都機能を移転

1929 世界恐慌が発生し失業者が増大

1932 シドニーにハーバー・ブリッジが開通する

1939 第二次世界大戦勃発

1942 日本軍によるダーウィン、シドニー攻撃が行なわれる

1948 オーストラリア国籍・市民権法成立

1950 朝鮮戦争に参戦。アメリカ軍を援助

1956 メルボルン・オリンピック開催
南半球で初めてのオリンピック開催となる

1965 ベトナム戦争へ派兵

1967 連邦憲法が改正
アボリジナルが国民として認められる

1970 シドニーとパースを結ぶインディアン・パシフィックが運行開始

1972 白豪主義の廃止
この年を機に多文化主義へ

1973 シドニーにオペラ・ハウスが完成

1976 日豪友好協力基本協定締結
双方の長期的な友好協力関係を保障

1980 ワーキング・ホリデー制度が始まる
日本、オーストラリア、カナダ、オランダなどでワーキング・ホリデー制度の協定を結ぶ

1985 エアーズ・ロック(ウルル)および周辺の土地がアボリジナルに返還される

1988 建国200年祭
ブリスベンで万国博覧会開催

1992 アボリジナルの先住権が正式に認められる

2000 シドニー・オリンピック開催

2008 政府がアボリジナルに対して初めての公式謝罪をする

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筆者 : mapple

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奥付:
この記事の出展元は「トラベルデイズ オーストラリア」です。掲載している情報は、2015年7〜9月の取材・調査によるものです。掲載している情報、商品、料理、宿泊料金などに関しては、取材および調査時のもので、実際に旅行される際には変更されている場合があります。 最新の情報は、現地の観光案内所などでご確認ください。