【パリ】ヴィンテージショップ&古着屋めぐり!
今回紹介したいのは、観光名所を回る旅行とはまた一味違うパリめぐり。パリにはたくさんのヴィンテージショップが存在します。人と同じなんてつまらないと、オリジナルであることを重要視するパリジャンたちの多くは...
「ルネサンス」とは、「再生」を意味する。ルネサンス建築はおもにイタリアの15〜16世紀の建築様式のことで、諸国に伝わった先で進化を遂げたものも指す。均衡、水平性を重視したシンメトリーが造形の中心となり、調和のとれた姿こそが美しいとされた。
百年戦争の終結後、フランソワ1世が1495~1525年にかけてのイタリア侵攻によりルネサンス文化に触れる。王はレオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、優れた芸術家や職人を連れ帰り、ロワール川沿いの城館建設などにルネサンス様式を取り入れた。その後、フィリベール・ド・ロルムやフォンテーヌブロー派などフランス人建築家により、古典的要素をフランス流に昇華した独自のルネサンス様式が誕生する。
現在、パリに残るルネサンス建築はルーヴル宮のクール・キャレ部分やカルナヴァレ館、ポン・ヌフ、リュクサンブール宮殿などだ。
アンリ2世のパリ入市を記念して造られたイノサンの泉。アーチのニンフ像には優雅なフォンテーヌブロー派の特徴が見られる。ルーヴルの装飾を手がけたグジョンによる。
ピエール・レスコーによって1548年に建設されたが、そのあと大幅に改造された。オリジナルで残っているのは四角い窓と人物像が飾られた3層の中央部分。※2019年まで改装のため閉館
静的で荘厳な古典主義様式はフランス人に愛された。イタリアから導入されたバロックは絶対王政下で独自の進化を遂げ、華やかな建築が街を彩っていく
フランスでようやくルネサンス様式が自国流に洗練された頃、ローマではバロック様式が支持を得ていた。「歪んだ真珠」を意味するといわれるバロックは、ルネサンス様式におけるシンメトリーの重要性に真っ向から対立し、よりダイナミックな造形をめざした。バロックの特徴は、まず建築、絵画、彫刻などあらゆるジャンルの芸術を総動員して、ひとつのドラマティックで密度の濃い空間を作り出すことにある。建築的には曲線や曲面を多用した立体感のある形を用い、光の操作や遠近法、配置法を駆使して見るものの感覚に直接訴えかけるような工夫を施す。
宗教改革時のカトリック教会をパトロンとして発展したこの建築様式は、17世紀、ルイ14世の側近、マザラン枢機卿などにより絶対王政下のフランスでさらなる発展を遂げる。それはバロックの実現には莫大な知識と資金力が必要だったことと、王の権力を示すのに、豪華で荘厳なスタイルが適していたことによる。
国内にバロック様式が伝わり初めても、ローマのような過剰な装飾は敬遠され、秩序と調和のある、独自のバロックが生み出されていった。17世紀は、ギリシャやローマの建築を手本とした古典主義様式が好まれており、バロックに与えた影響も少なくない。古典主義様式は「オーダー」と呼ばれる古代神殿に用いられる円柱と梁の組み合わせが特徴的で、アルドゥアン・マンサールによるアンヴァリッドなどに見られる。 この時代の建築は、バロック建築家のルイ・ル・ヴォーによるフランス学士院や、フランソワ・マンサールによるヴァル・ド・グラースなどが残る。
主要なバロック建築のひとつ。マンサールのプランで起工し、途中からルメルシェが引き継いだ。バロック様式の特徴である曲線を用いたねじり柱にも注目。
フランスを代表する建築家たちが代々造営してきた。1667年、医者出身のペローがデザインし、宮廷東側の建設が始まる。
国立廃兵院付属の礼拝堂。正方形平面とギリシャ十字平面を組み合わせ、十字の中央に高いドームがそびえている。アルドゥアン・マンサールが設計。
18世紀に入ると、フランス・バロックの仰々しい様式に飽きた宮廷の人々が、より優美な「ロココ」を生み出す。建物全体ではなく、室内装飾の新様式のため、後期バロック様式とも位置づけられる。自由でのびのびとした曲線、非対称的な紋様、白や淡い色彩が特徴的だ。サロン文化と密接に関わっており、ポンパドゥール夫人やマリー・アントワネットが象徴として挙げられることも多い。スービーズ館の「冬の間」と「夏の間」はロココ室内装飾の典型とされる。
ロココの代表建築として名高い元貴族の館。ルイ14世、ナポレオンなどフランスの歴史上重要な人物の古文書などを保管する博物館だ。
建築家にとって、新古典主義は過去の法則に縛られない新しい形態と構造の追究だった。折衷主義は欧州のものだけでなく、多様な様式を組み合わせた。