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更新日:2020年4月13日
【ウィーン・プラハ・ブダペスト】繁栄を築いたハプスブルク家とは?
13世紀後半から645年もの間、ウィーンを中心に中欧を統治し続けたハプスブルク家。芸術を愛し、音楽・美術・建築の発展を支えたという一族の歴史を知り、各地に残されたその栄光の舞台を訪れてみよう。
ウィーン・プラハ・ブダペストに君臨した王家
世界に名だたる名門一族その足跡をたどる
ハプスブルク家はもともとスイス辺境の貴族であったが、1273年にルドルフ1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選出されたのを機にオーストリアの君主となる。武力ではなく婚姻によって周辺の王家と結びつく戦略で領土を拡大していき、最盛期にはヨーロッパ全域にとどまらず、中南米をも支配下に収めるほどの一大帝国を築き上げた。 現在、中欧三都は音楽、美術、建築などの分野で大きな存在感を示している。その背景には、芸術を愛し、その保護や発展に寄与したというハプスブルク家の存在があったことは間違いない。 1918年、第一次世界大戦の勃発をきっかけに帝国は終焉を迎えたが、それまでの645年間で一族が築いた帝都としての礎は現在も受け継がれている。
注目イベント フランツ・ヨーゼフ没後100年
国民から「国父」と慕われ、オーストリア帝国の実質的な最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフ1世が、シェーンブルン宮殿にてこの世を去ったのは1916年。没後100年にあたる2016年には、ウィーン各地で特別展が開催される。
♦特別展「フランツ・ヨーゼフ1830~1916」
開催期間:2016年3月16日~11月27日
開催場所:シェーンブルン宮殿、宮廷家具コレクション、馬車博物館、ニーダーヴァイデン宮殿(ニーダーエステライヒ州)で同時開催
♦特別展「永遠の皇帝」
開催期間:2016年4月8日~10月30日
開催場所:オーストリア国立図書館
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関連リンク
華やかな建築に往時の面影を見る ハプスブルク家ゆかりのスポット
ヨーロッパに大帝国を築き上げた一族の足跡は各地に残されている。一見の価値がある建物ばかりだ。
ウィーン Wien
神聖ローマ帝国皇帝となったスイスのルドルフ1世はウィーンに拠点を移し、以降ウィーンはハプスブルク家の都として栄えた。
プラハ Praha
1419年のフス戦争の混乱により、ボヘミアがハプスブルク家の支配下に。1918年に独立を迎えるまで、約500年の支配が続いた。
ブダペスト Budapest
1867〜1918年、オーストリア=ハンガリー帝国として、ハプスブルク家の皇帝がハンガリー国王も兼ねる二重君主制がとられていた。
美術史博物館 Kunsthistorisches Museum
フランツ・ヨーゼフ1世がリンクシュトラーセ開発計画の年に着手した、ハプスブルクの宮廷美術館。欧州3大美術館のひとつとして知られる。
シュテファン寺院 St. Stephansdom
12世紀に建立されたロマネスク様式の小さな教会が前身。ルドルフ4世の命によってゴシック様式に建て替えられ、15世紀に完成した。
シェーンブルン宮殿 Schloss Schönbrunn
マリア・テレジアが即位した当初、宮廷の財政は逼迫していたにもかかわらず宮殿を完成させ、帝国の余裕ぶりを内外に見せつけた。
カプツィーナー教会 Kapuzinerkirche
ハプスブルク家の墓所として知られる教会。地下の皇帝納骨所には歴代の皇帝を含む一族146人の棺が安置されている。
ホーフブルク(王宮)Hofburg
ハプスブルク家歴代の神聖ローマ皇帝、およびオーストリア皇帝の住居だった宮殿。広大な敷地は約24haで、約2600の部屋がある。
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アウグスティナー教会 Augstinerkirche
ハプスブルク家の結婚式を行なった教会。マリー・アントワネットもここでフランス王ルイ16世の代理人と婚約指輪の交換をした。
旧王宮 Starý Královský Palác
歴代の王やハプスブルク家の居城。マリア・テレジアの時代に改修された。現在は大統領選などの国家行事も行なわれている。
聖ヴィート大聖堂 Katedrála sv. Víta
ゴシックからアール・ヌーヴォーまで、さまざまな様式で建設が続けられた大聖堂。フェルディナント1世が眠る墓がある。
ベルヴェデーレ宮殿 Belveder
フェルディナント1世が后のために建てた離宮。プラハ城の北、王宮庭園の中にあり、不定期に公開されている。
Austria-03478 - Upper Belveder Palace, by archer10 (Dennis) 106M Views, CC BY-SA
ゲデレー城 Gödöllői Királyi Kastély
ブダペストの郊外に建つ城。もとはハンガリー貴族の館で、エリザベートお気に入りの城として知られる。ゆかりの品々も展示されている。
マーチャーシュ教会Mátyás templom
オーストリア=ハンガリー帝国成立時、フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートが戴冠式を行なった教会。
ハンガリー国立歌劇場 Magyar Állami Operaház
オーストリア=ハンガリー帝国成立時、フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートが戴冠式を行なった教会。
中欧に君臨した華麗な一族の物語ハプスブルク家の歴史 Habsburg story
13〜15世紀 スイスの公国から日没なき世界帝国へ
もともとハプスブルク家はスイス北東部の小さな国を治めていたが、1273年、一族のルドルフ1世が神聖ローマ帝国の皇帝に推されたことからヨーロッパの歴史がハプスブルクを中心に大きく動くことになった。ルドルフ1世はボヘミアとの戦争に勝ち、オーストリアを掌中にし、ハプスブルク家の基礎を築いた。
次に注目すべきはブルゴーニュ公女マリアと結婚したマクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝在位1493〜1519年)だ。「戦は他にまかせよ、汝幸あるハプスブルクは結婚せよ」という家訓を掲げて、戦争ではなく政略結婚で権勢を広げ、ブルゴーニュ、次いでフランドル一帯も次々に掌中に収めていった。
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ルドルフ1世Rudolf I(在位1273〜91年)
ハプスブルク家最初の神聖ローマ帝国君主。 当時のハプスブルク家は現在のスイス(当時神聖ローマ帝国に属していた)に所領を持つ伯爵家で、ドイツにおいてさほど有力な諸侯ではなかった。
マクシミリアン1世Maximilian I(在位1493〜1519年)
ブルゴーニュ公国の公女マリアと結婚したことにより、フランスの料理やワインなど洗練された食生活がハプスブルク家に取り入れられた。マクシミリアン1世は一時期インスブルックに都を移した。
16〜18世紀 動乱の時代。スペイン統治終結
1701年、スペインの王位継承をめぐる戦いが勃発。ヨーロッパ諸国を巻き込み長期戦が繰り広げられた。結果、フランス・ブルボン家のフィリップスの王即位は阻止することができず、200年近くに及ぶハプスブルク家のスペイン統治は終幕する。
ルドルフ2世Rudolf II(在位1576〜1612年)
マクシミリアン2世の子ルドルフ2世は、若い頃スペインの宮廷でイエズス会の教育を受けた。ハンガリー王、ボヘミア王となり、都をプラハに移した。
18〜19世紀 マリア・テレジアの時代
カール6世の死後ハプスブルク家を率いたのは、女帝マリア・テレジア。1740年に23歳で即位し、40年間の在位中に男子5人、女子11人の子を生んだ。なかでも第9子のマリー・アントワネットがフランス王ルイ16世に嫁ぎ、フランス革命で処刑された悲劇はあまりにも有名だ。マリア・テレジアの国政における功績は大きく、現在もオーストリアでは国母として敬愛されている。
また、マリア・テレジアはシェーンブルン宮殿に劇場を造り、オペラやコンサートを楽しむなど文化にも深く通じていた。歴代の皇帝たちも音楽が好きで、その庇護のもとに多くの音楽家が育っている。シェーンブルン宮殿に招かれた6歳のモーツァルトもマリア・テレジアの御前演奏をしている。こうして、この時代にモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンなど多くの音楽家たちがウィーンに集まり、活躍した。
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マリア・テレジアMaria Theresia(在位1740〜80年)
1740年、23歳で即位。男子5人、女子11人の子供を生み育てながら、帝国を統治し、繁栄させ、ハプスブルクの堅固な地位を次代に引き継いだ。右の写真はシェーンブルン宮殿で夫と幼い子供たちに囲まれて、幸せな頃の一家の肖像画の一部。
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マリー・アントワネットMarie Antoinette(1755〜93年)
マリア・テレジアの第9子。のちのフランス王ルイ16世と結婚。フランス革命の革命裁判にかけられ処刑されたが、最後までハプスブルクの品位ある態度を示した。
19〜20世紀 フランツ・ヨーゼフ1世と帝国の終焉
1854年、エリザベート(愛称シシィ)は、ハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ1世に見初められ16歳で皇妃となったが、皇太后との軋轢や格式を重んじる宮廷生活になじめず、心身ともに衰弱していった。以後、終生旅を繰り返す生活を送ったが、1898年に旅先のスイスのジュネーブでアナーキストの凶刃に倒れた。
ルドルフ1世のドイツ王即位から19世紀にいたるまで隆盛を極めたハプスブルク家だが、1859年のイタリア戦線で敗北したことからハプスブルク帝国に暗雲がたちこめる。多くの民族の利権のぶつかり合いのなかで生まれたオーストリア・ハンガリー二重帝国。こののち、第一次世界大戦に敗れ、およそ640年にわたり中央ヨーロッパに君臨したハプスブルク帝国は1918年に崩壊した。
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フランツ・ヨーゼフ1世Franz Josef I(在位1848〜1916年)
1848〜1916年という長い在位の間に、クリミア戦争やハンガリーとの二重帝国成立、さらに独、露との3帝同盟の破綻や独、伊との3国同盟成立など、ヨーロッパの変動期にオーストリアを統治した。家庭的には孤独で不幸だった。
ウィーンの王宮庭園に立つフランツ・ヨーゼフ像
Queen Elisabeth of Hungary, Budapest, by Dimitris Graffin, CC BY
エリザベートElisabeth A.Eugenie(1837〜98年)
フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ16歳で結婚。美貌で知られる。堅苦しい宮廷になじめず、ヨーロッパ各地の旅行に安らぎを求めた。ジュネーブ滞在中に無政府主義者に暗殺された。シシィの愛称で今も国民に愛されている。
永遠の美貌 皇妃エリザベート その思い出をしのぶ場所 Elisabeth Amalie Eugenie
バイエルンの名門貴族の家に生まれ、類いまれな美貌の持ち主であったエリザベート。生涯にわたって美を追求し、放浪の旅を続けた。シシィの愛称で親しまれる彼女の気高く美しい姿は、今なお人々を魅了し続けている。
シシィの生涯を展示・公開 シシィ博物館 Sisi Museum
シシィゆかりの宝飾品はケッヒャート
お気に入りだったスミレ菓子はゲルストナーにある
シシィを含めハプスブルク家の一族は甘いものを好んで食べた
シシィのために建てられた館 ヘルメスヴィラ Hermesvilla
フランツ・ヨーゼフ1世が乗馬が好きな愛妻シシィのために造らせた館。かつてのハプスブルク家の狩猟地で、現在はラインツ動物公園の中にある。定期的に展示会も行なわれる。
シシィのお気に入りだった部屋を公開
シシィが美貌を磨いた場所 シェーンブルン宮殿 Schloss Schönbrunn
髪の手入れには何時間もかけたという
華やかな舞台が広がるミュージカルを観るならここ ライムント劇場 Raimundtheater
喜劇俳優として演じながら劇作や演出なども精力的に行ない、ウィーンの通俗劇に貢献したフェルディナント・ライムント(1790〜1836年)の名を冠した劇場。著名な作品も上演されるのでスケジュールをまめにチェックしよう。
華やかな結婚式がここで行なわれた アウグスティナー教会 Augustinerkirche
ハプスブルク家の結婚式を行なった教会。マリア・テレジアもここで挙式し、マリー・アントワネットもフランス王ルイ16世の代理人と婚約指輪の交換をした。
シシィが16歳の1854年に結婚
王室の家具や調度品を展示した貴重な博物館 宮廷家具コレクション Hofmobiliendepot Möbel Museum Wien
王室の暮らしを知る博物館。豪奢な家具や調度品が陳列されている。時代を感じさせる家具のなかにはマリア・テレジアの豪華な車いすや、皇帝玉座など歴史的に貴重な品もある。
1747年に設立した

【筆者】まっぷるトラベルガイド編集部
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