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2017年8月12日

シンガポール

シンガポールの歴史、急激な経済的成長とラッフルズ

by mapple

暗い昭南島時代と独立の気運

第二次世界大戦中、1942年から3年半は日本軍による占領が続いた。イギリス軍に勝利した日本軍は、昭南島と名付け統治下に置くと、日中戦争に対する抗日運動を行なっていたとして中国人を弾圧した。とくに強い衝撃を与えたのが「華僑虐殺」といわれる事件で、各地に中国人を集め、抗日の傾向が疑われる者を選別、銃殺したという。日本軍のマレー人、インド人優遇もあり、軍政に対抗する運動は中国人が中心となった。その中核が、中国共産党から支援を受けるマラヤ共産党で、戦後も独立運動の母体となる。長く統治者として君臨していたイギリス軍の敗北と、続く日本軍による圧政は、シンガポールの中国人に、自分たちの国家をつくり出す強い意志を持たせることになった。

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戦争記念公園に立つ日本占領時の戦没者を慰霊する石塔

人民行動党の独裁が始まる

日本軍からの解放後、イギリス支配が復活したが、もはやイギリスには戦前ほどの支配力はなかった。1957年には同じイギリス領のマラヤ連邦が独立を果たし、翌年シンガポールも自治権を獲得。最初の総選挙で他を圧倒し第一党となったのが、英国留学帰りのリー・クアンユー率いる人民行動党だった。圧勝の理由として、他の政党が知識人中心だったのに対して、中国人大衆に強い影響力を持っていた共産系グループの協力を得られたことが挙げられる。政権をとった人民行動党がまず取り組んだのが、ナショナルアイデンティティの確立だった。マラヤ連邦との合併によるイギリスからの独立をめざし、マレー語を国語とし、マレー化政策を行なった。これに反感を持つ共産系グループは脱党し、熾烈な政争が行なわれたが、結果として勝利した人民行動党の安定した一党独裁が始まることになった。

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リー・クアンユー (Lee Kuan Yew/李光耀) 1923〜2015

独立以来60年近く続く、人民行動党の一党独裁の中心を1990年まで担っていた。首相としてほとんどの政策に関わり、生みの親であるラッフルズに対して、「シンガポールの育ての親」と評されることも。首相退任後もアジア有数の影響力を持つ人物であったが、2015年、91歳で逝去した。

新しい国の形の模索

マラヤ連邦との合併が国民投票により可決され、1963年にマレー半島・サバ・サラワクにシンガポールを含めたマレーシア連邦が誕生。ここに初めて、他国の植民地ではないシンガポールの地位が確立した。しかし、マレー人優遇を採るマレーシア中央政府と、すべての民族をマレーシア人として平等に扱おうとするシンガポールの関係は急激に悪化、わずか2年で分離し、現在に続く都市国家の形となる。分離後、資源もない小国となった危機感は、国民を人民行動党のもとに一致団結させた。それまでのマレー化政策は影を潜め、共通語としての英語とそれぞれの言語の教育を義務付ける2言語政策が採られ、英語話者の増加は、外国資本の積極的な誘致とあいまって、経済の飛躍的な発展を可能とした。一方で、1970年代からどの言語も中途半端になってしまう若者(半桶水)が現れ問題化。また、欧米の自由な価値観に触れ、厳しい規律の社会から外国へ移り出るものも増加した。母語や儒教教育の推奨など、さまざまな対策が採られているが、現在もまだ完全な解決はされていない。経済的発展を成し遂げ、対外的な不安も少ないなかで、それぞれに異なる文化を持つ多民族をまとめあげる、新しいアイデンティティが求められている。

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コロニアル建築と近代的なビルが隣り合わせで並ぶ街並

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筆者 : mapple

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奥付:
この記事の出展元は「トラベルデイズ シンガポール」です。掲載している情報は、2015年4月〜8月にかけての取材・調査によるものです。掲載している情報、商品、料理、宿泊料金などに関しては、取材および調査時のもので、実際に旅行される際には変更されている場合があります。最新の情報は、現地の観光案内所などでご確認ください。