墓・古墳
日本のおすすめの墓・古墳スポット
日本のおすすめの墓・古墳スポットをガイドブック編集部が厳選してご紹介します。「塚廻古墳」、四国では最大級の前方後円墳「富田茶臼山古墳」、国の史跡にもなっている町中に残る古墳「帝塚山古墳」など情報満載。
- スポット:256 件
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おすすめの墓・古墳スポット
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富田茶臼山古墳
四国では最大級の前方後円墳
全長139mに及ぶ四国最大の規模の前方後円墳。三段に築かれた古墳の丘や、水田にされたと思われる濠跡など、その巨大さは驚くばかり。主は難波皇子といわれている。
富田茶臼山古墳
- 住所
- 香川県さぬき市大川町富田中3402-3ほか
- 交通
- JR高徳線讃岐津田駅からコミュニティバス大川行きで24分、道の駅みろく下車、徒歩5分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
帝塚山古墳
国の史跡にもなっている町中に残る古墳
4世紀末から5世紀初めの築営とされる前方後円墳。当初の規模は全長120mで後円部は直径57m高さ10mであったと推定される。二段築成の墳丘には円筒埴輪列や周濠の跡も確認されている。
泰澄大師御生母廟
勝山市指定の史跡
泰澄の母の出身は伊野原(現在の勝山市毛屋町)とされ、その地に墓所が残る。中世の「平泉寺境内絵図」にも描かれている。
泰澄大師御生母廟
- 住所
- 福井県勝山市下毛屋
- 交通
- えちぜん鉄道勝山永平寺線勝山駅から京福バス勝山大野線ヴィオ行きで8分、毛屋下車すぐ
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
稲荷前古墳群
3基の古墳が残る史跡
以前は10基の古墳があったが、開発などにより現在は前方後方墳1基と方墳2基のみとなっている。公園のように整備され公開している。出土品は横浜市歴史博物館に展示公開されている。
稲荷前古墳群
- 住所
- 神奈川県横浜市青葉区大場町156-10
- 交通
- 東急田園都市線市が尾駅から東急バス桐蔭学園方面行きで5分、水道局青葉事務所前下車すぐ
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
和田山・末寺山史跡公園
北陸有数の古墳群。副葬品など資料館で展示
3~7世紀にわたって各種の古墳が相次いで造られた北陸有数の古墳群。出土した副葬品などは史跡公園入口の歴史民俗資料館で展示している。
和田山・末寺山史跡公園
- 住所
- 石川県能美市和田町、末寺町地内
- 交通
- JR北陸新幹線小松駅から小松バス寺井史跡公園行きで23分、終点下車、徒歩5分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 入園自由
横浜外国人墓地
歴史的な観点からも貴重
アメリカ使節ペリー一行の客死した乗組員を葬ったのが始まり。以来開港後は横浜の居留外国人の墓地となった。生麦事件の犠牲者をはじめ、約5000人の外国人が眠る。
横浜外国人墓地
- 住所
- 神奈川県横浜市中区山手町96
- 交通
- みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩6分
- 料金
- 志納(要募金協力)=200円/資料展示室=無料/ (200円程度希望)
- 営業期間
- 3~12月下旬、管理事務所・資料展示室は通年
- 営業時間
- 12:00~16:00(閉園16:20)、管理事務所は9:00~17:00(閉所)、資料展示室は10:00~17:00(閉館)、土・日曜、祝日は~12:00(閉館)
野長瀬一族の墓
中世近露の荘主一族の墓
熊野に逃れる護良親王を助けたのが近露の荘主であった野長瀬一族。熊野古道近露王子からすぐの場所に数十基の宝篋印塔や五輪の塔が集められた一族の墓がある。
野長瀬一族の墓
- 住所
- 和歌山県田辺市中辺路町近露
- 交通
- JRきのくに線紀伊田辺駅から龍神バス本宮大社方面行きで1時間10分、観音寺前下車、徒歩5分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
市尾墓山古墳
奈良県で最も古い部類に属する大型の前方後円墳
6世紀初め頃に造られたとされる前方後円墳。後円部の石室は盗掘にあっていたものの、玉類、馬具、刀などが出土した。大型古墳の石室では県下最古の部類に属する。
前田家墓所
野田山山頂付近、初代利家とお松の方、他歴代当主と奥方が眠る
野田山の山頂付近にある前田家歴代の墓所。初代利家とお松の方から2代目利長、お永の方(信長四女)他歴代の当主と奥方が静かに眠る。
前田家墓所
- 住所
- 石川県金沢市野田町野田山
- 交通
- JR金沢駅から北陸鉄道北陸学院短大方面行きバスで22分、野田下車、徒歩20分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
井伊直親の墓
無念の死を遂げた井伊直親が眠る場所
永禄5(1562)年、家老の小野但馬守におとしいれられた直親は弁明のために駿府へ向かった。その道中、掛川城主によって謀殺されてしまう。盛土の上に小さな石碑が建っている。
