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首都圏のおすすめのその他史跡・建造物スポット
首都圏のおすすめのその他史跡・建造物ポットをガイドブック編集部が厳選してご紹介します。「国司館と家康御殿史跡広場」、一度青蓮寺に移すも夜すすり泣くため元の場所に戻されたという「泣塔」、玉川上水の堰の基礎、土台となった。春には桜が見ごろな場所「羽村堰」など情報満載。
- スポット:51 件
- 記事:7 件
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首都圏のおすすめのその他史跡・建造物スポット
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泣塔
一度青蓮寺に移すも夜すすり泣くため元の場所に戻されたという
文和5(1356)年の銘がある、姿の美しい石造宝篋印塔。旧JR大船工場跡地の小高い丘の上に建つ。一時、青蓮寺に移されたが、夜な夜なすすり泣くため、やむなく元の場所に戻したという。
泣塔
- 住所
- 神奈川県鎌倉市寺分上陣出424
- 交通
- 湘南モノレール湘南深沢駅から徒歩8分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由(外観のみ、柵の中に入る場合は文化財課より鍵の貸出要)
羽村堰
玉川上水の堰の基礎、土台となった。春には桜が見ごろな場所
承応2(1653)年に完成した玉川上水の堰。上水の管理を行っていた陣屋の門が移築され、江戸の貴重な給水源だった頃の面影を今に伝えている。
雑司ヶ谷 鬼子母神堂
菩薩形で美しい姿の鬼子母神像
子育て・安産の神様である鬼子母神を祀っている。本殿は寛文4(1664)年に建立されたもので、平成28年に国の重要文化財に指定された。境内に立つ樹齢700年の大イチョウは都指定の天然記念物。
栃本関所跡
旅人でにぎわったかつての関所跡
戦国時代に武田信玄が設置した関所跡。関所に面した国道140号、旧秩父往還は日本の道百選のひとつ。付近は深い渓谷で急な山腹に家が立ち、畑のある栃本集落がある。
栃本関所跡
- 住所
- 埼玉県秩父市大滝1623
- 交通
- 秩父鉄道三峰口駅から西武観光バス三峯神社・大滝老人福祉センター・中津川行きで15分、大滝温泉遊湯館で市営バス川又線川又行きに乗り換えて28分、栃本関所跡下車すぐ
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由(外観のみ)
伊奈氏屋敷跡
代官頭伊奈氏の陣屋跡で堀や土塁が現存。障子堀も見つかっている
代官頭(後の関東郡代)伊奈氏の陣屋跡で、楕円形の台地の上に立っている。堀・土塁が現存しており、発掘調査で障子堀が確認されている。昭和9(1934)年3月31日に埼玉県指定史跡に指定された。史跡内の大半は民有地となっている。
宮沢賢治旧居跡
宮沢賢治が創作活動に励んだ長屋の跡地
賢治が大正10(1921)年に上京後、住んだ二軒長屋跡。案内板右手の建物2階に住んでいた。赤門前の印刷所で働きながら、布教と創作に励んだ。建物は平成2(1990)年に取り壊された。
岩船地蔵堂
哀しい大姫を供養する地蔵堂
源頼朝の娘、大姫の守り本尊といわれる地蔵菩薩がまつられている。地蔵の床下に船形の光背を備えた石造りの地蔵尊が納められていて、それが岩船地蔵の名の由来であるといわれている。
永福寺跡
「二階堂」の地名の由来となった
源頼朝が建立した寺院の跡地。周辺の地名「二階堂」は、永福寺の二階建ての本堂にちなんでいる。発掘調査によって、二階堂、薬師堂、阿弥陀堂が建ち並ぶ往年の姿が明らかになり、史跡の整備が進んでいる。
永福寺跡
- 住所
- 神奈川県鎌倉市二階堂209
- 交通
- JR横須賀線鎌倉駅から京急バス大塔宮行きで10分、終点下車、徒歩10分
- 料金
- 無料
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 9:00~17:00(11~翌3月は~16:30)
松竹キネマ蒲田撮影所跡
数々の名作が生まれた地
大正9(1920)年、「東洋のハリウッド」を目標に、松竹が初めて撮影所を作った場所。跡地に建てられたビルの1階に、撮影所前の川に架かっていた「松竹橋」の親柱が残る。
和賀江嶋
日本最古の築港遺跡
現存する日本最古の築港遺跡であり、国指定史跡にも指定されている。勧進聖人往阿弥陀仏が鎌倉幕府の許可を得て貞永元(1232)年に築いた。
和賀江嶋
- 住所
- 神奈川県鎌倉市材木座6、逗子市小坪
- 交通
- JR横須賀線鎌倉駅から京急バス小坪経由新逗子行きで10分、飯島下車すぐ
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由(干潮時のみ見ることが可能)
新島襄誕生地跡
渡米して神学などを学び、同志社大学を創設した新島襄生誕の地
同志社英学校(同志社大学の前身)の創設者である新島襄が生まれた場所。22歳で渡米、キリスト教徒の洗礼を受け、神学・理学を学んだ明治時代の教育者。
松之大廊下跡
忠臣蔵の浅野刃傷事件の起きた跡地
浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかるという刃傷事件が起きた跡地。畳敷きで約36mの大廊下だった。廊下に沿った襖戸に松が描かれたことが名前の由来とされる。
松之大廊下跡
- 住所
- 東京都千代田区千代田1-1
- 交通
- 地下鉄大手町駅から徒歩10分
- 料金
- 無料
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 9:00~16:00(閉園16:30、時期により異なる)
史跡相模国分寺跡
聖武天皇の詔によって各国に建立された国分寺のひとつ
奈良時代、聖武天皇の詔によって各国に建立された国分寺のひとつ。法隆寺式伽藍配置の寺で、金堂と七重の塔が東西に並んでいた。北に500mほど行ったところには国分尼寺跡もある。
浅野内匠頭終焉之地
一関藩主・田村右京太夫の江戸屋敷
内匠頭は幕命により、一関(現在の岩手県)藩主・田村右京太夫の江戸屋敷の庭で切腹。「風さそう花よりなほ我はまた春の名残をいかにやとせん」と無念の思いを詠んでいる。
喜之床跡
石川啄木が2年2ヶ月過ごした住居跡。現在は明治村に移築保存
石川啄木が明治42(1909)年より、2年2ヶ月過ごした住居の跡。旧家屋は春日通りの拡幅にかかり、昭和53(1978)年に解体。現在は明治村に移築保存されている。
菊富士ホテル跡
長期滞在者や大物財界人が泊まったホテルだったが戦火で焼失した
前身は下宿菊富士楼で、大正3(1914)年に菊富士ホテルを新築。後に長期滞在客相手の高等下宿になった。各界有名人が宿泊するサロンだったが、戦火で焼失し、現在は碑が残るのみ。





