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【姫路城】世界遺産!名城の歴史&基本情報をチェック!

by mapple

更新日:2019年2月2日

地元で別名「白鷺城」と呼ばれ、世界遺産に登録されている姫路城。平成の大修理を終えて、内外ともに間近で見学できる大天守は必見だ。優美を極めた名城を今こそ訪ねよう!

世界遺産 姫路城

姫路城は400年間、一度も落城や火災に見舞われることなく、当時の姿が今に引き継がれる城。1931(昭和6)年に国宝に指定され、1993年には日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録された。2009年から始まって約5年半に及んだ大天守の保存修理も終わり、白亜に輝く美しい外観が目の当たりにできるようになっている。

間一髪で助かった姫路城

姫路城大天守は太平洋戦争中、実は米軍の焼夷弾攻撃を受けていた事実が近年判明。偶然不発弾だったために戦火に包まれることはなかったそう。幸運が重なっていにしえの姿を今にとどめているのだ。

姫路城は空から見るとこんなに広い!

大天守
5階7層建ての大天守は姫路城観光の目玉

小天守
大天守を取り囲む東・西・乾の3つの小天守がある

備前丸(本丸)
大天守前の大曲輪で、現在は大天守を間近に眺められる広場

二の丸
怪談で有名な「お菊井戸」や狭間などが見られる小曲輪

三の丸
大手門を入ってすぐにある広々とした曲輪は憩いの場所

西の丸
現在日本庭園に整備されている曲輪。百間廊下などが見どころ

三国堀
敵を分散させる目的で設けられた捨堀

入城口
城郭内見学のスタート地点。ここで入城料を払って大天守へ

行く前にチェック! 見学アドバイス

整理券が必要な日があるので注意。

土・日曜、祝日や行楽シーズンなど混雑が予想される日は、大天守の登閣に整理券がないと入れないことがあるので注意しよう。整理券は姫路城入城口の手前で先着順に配布され、有効期間は当日限り。
混雑状況は事前に確認できる。(http://www.himejicastle.jp/の姫路城大入実況を参照)

スマホ持参で楽しさがさらにアップ。

姫路城見学では、AR機能でリアルな再現映像を楽しむことができる。スマートフォンやタブレットを持参すると、今はない建造物や城兵の再現CGが見られるのでぜひ。

見学は一方通行。順路を確認しよう。

入城口から姫路城をぐるりと見学するルートは、一部区間や西の丸を除いて一方通行になっている。後戻りはできないので、ポイントを事前確認して見どころや記念撮影を逃さないように。

姫路城HISTORY

(出典:姫路市立城郭研究室「姫路城の基礎知識」)

1346年(貞和2) 赤松貞範が姫山に城を築く。
1349年(貞和5) 赤松貞範が庄山城に移る。小寺頼季を姫路城に置く。
1545年(天文14)黒田重隆、小寺氏の命により姫路城へ。その後、嫡男の職隆に守らせる。
1546年(天文15)黒田孝高(官兵衛)が姫路城で生まれる。
1567年(永禄10)黒田官兵衛が志方城主・櫛橋伊定の娘、光姫(幸圓)と結婚。父の職隆が隠居し、官兵衛が家督を継ぐ。
1577年(天正5)羽柴秀吉が播磨に侵攻。
1580年(天正8)官兵衛が姫路城を秀吉に譲り、妻鹿国府山城に移る。秀吉が官兵衛と浅野長政に普請を命じ、姫路城の築城(大改修)を開始。
1581年(天正9)三重の本格的な天守を持つ姫路城が完成。
1601年(慶長6)池田輝政が姫路城の築城を始める。
1609年(慶長14)五重六階、地下一階の連立式天守が完成。
1617年(元和3)本多忠政が伊勢国桑名から入封。
1749年(寛延2)酒井氏(忠恭)が上野国前橋より姫路へ入封。
1869年(明治2)酒井忠邦が版籍奉還を申し出る。
1910年(明治43)姫路城の「明治の大修理」が始まる[〜1911(明治44)年]。
1931年(昭和6)姫路城天守閣が国宝に指定される。
1934年(昭和9)西の丸から「昭和の大修理」が始まる。
1951年(昭和26)姫路城天守8棟が新国宝に指定される。
1956年(昭和31)大天守等の解体修理が始まる[〜1964(昭和39)年]。姫路城中濠以内が特別史跡に指定される。
1993年(平成5)姫路城が世界遺産に登録される。
2009年(平成21)大天守の「平成の大修理」が始まる。
2015年(平成27)大天守の「平成の大修理」が完成。

お城にまつわる人物エピソード

姫路城には歴代城主をはじめ、城にかかわりある人物のさまざまな逸話が残る。その代表的なものを紹介しよう。

名付け親は豊臣秀吉

姫路城の最初の砦(とりで)を造ったのは守護職赤松則村で、その後黒田重隆、羽柴秀吉、池田輝政など48名も城主が代わった。姫路城と名付けたのは秀吉だ。

幸福?薄幸?千姫

家康の孫娘で、豊臣秀頼(秀吉の子)に嫁いだ千姫。後に姫路城主となる本多忠刻と再婚し、西の丸で過ごした日々は人生の中でいちばん幸せな時期だったといわれている。だが、夫と息子を若いうちに亡くして最後は尼となった。

西の丸の化粧櫓に置かれている千姫人形(修復のため見られない期間あり)

妖怪退治した宮本武蔵

姫路城で足軽奉公をしていた宮本武蔵が、当時の城主・木下家定の命で天守に出るとうわさが広まっていた妖怪を退治したという伝説が残っている。

最上階に祀られた刑部明神が武蔵に褒美の名刀を与えたと伝わる

播州皿屋敷・お菊の怨念が今も?

女中のお菊が家宝の皿一枚を紛失した罪を着せられ、井戸で殺されたという播州皿屋敷怪談。お菊が皿を数える声が聞こえるという井戸が城内二の丸にある。

お菊井戸は姫路城の見どころのひとつになっている

城の危機を救った中村大佐

明治政府によって廃城令が発布された際、姫路城天守もその対象になった。素晴らしい姫路城を後世に残すべきと進言し、取り壊しの危機を救ったのは当時の陸軍省の中村重遠大佐だ。

菱の門近くに中村大佐の功績をたたえる碑が立っている

世界遺産&国宝になったポイント

姫路城は日本初の世界遺産で、国宝にも指定されている。世界中から日本を代表する名城に認められている理由がこれだ。

世界に誇る木造建築

海外の城は煉瓦や石で造られている場合が多いが、姫路城は石垣や堀以外のほとんどの建物が木造建築。その配置や構造、装飾の美しさは世界屈指と評されている。

城の構造を表す模型を小天守の中で見ることができる

日本独自の城郭構造が残存

江戸時代初期の城郭建築最盛期に造られた天守群や櫓、門、土塀などが良好に保存されており、防御に工夫した日本独特の構造がしっかりとわかることが評価された。

土塀にある狭間(さま)は敵に鉄砲や矢を撃ちかける穴

国宝と重要文化財の宝箱

姫路城は大天守と3つの小天守、4つの渡櫓を加えた8棟の建物が国宝。また15の門や土塀など合計74もの建造物が重要文化財という、貴重さが際立つ城だ。

入城口すぐにある菱の門も重要文化財

筆者:mapple

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