更新日: 2021年3月2日
【連載エッセイ・第24回】猫と田舎で暮らしてみた~6匹と僕たちの里山生活~
東京生まれ、東京育ち。9年前に奥さんと、大分・国東半島へ移住。
そこで出会った猫たちと、こんどは、自然豊かな伊豆の田舎へ。
ゆっくりと流れる時間のなかで、森や草むらで自由に駆け回る猫たちと、一緒に暮らす日々のあれこれをお伝えしていきます。(毎週火曜日・金曜日に公開)
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いらっしゃいませ。森の猫カフェです
1月は行き2月は逃げる。時は駆け足。もたもたしていると置いてけぼり。うちの周りではもう気の早い大島桜や河津桜が咲き始めている。
年々寒さがこたえるようになったとはいうものの、春が過ぎればまたあの暑さと虫の季節かと思うと、厚さの苦手な僕はそれだけでウンザリしてしまう (´・_・`)
四季の彩りの中でトンビがピーヒョロロロ~と青空に弧を描いている。猫たちは眠たそうな顔でそれを見上げ、大あくびをし、やがて陽だまりの中でうとうとと眠りに落ちてしまう。
都会に流れている忙しげな時間軸から遠く離れた田舎に暮らしていると、たとえば新しく出来たお店とか、どこそこで始まったなんとかフェアとか、新製品や新曲や新作や新サービスという現在進行形の世相に惑わされることなく、なんと言えばよいのか、僕たち生き物が持っている本来の速度で流れる景色が見えてくる。
そうだよなあ。
目に見える何かをすることや、どこかへ行くことだけが中身の濃い人生の形ではないんじゃないか? なんにもしない時の過ごし方だって、本人がそれを有意義と思っているなら有意義なのに違いないよ。
僕は月に何度か買い物の帰りにコンビニへ寄って、コーヒーとクッキーなんぞを買ったりする。家へ戻ってそれを手に庭のテーブルに座ると、駐車場に停まった車の音を聞きつけた猫たちがぞろぞろと集まってくる。
100円のコーヒーと100円のクッキー。僕はその200円の贅沢を楽しみながら、いつものように何をするでもなく、何を考えるでもなく、猫たちと季節の移ろいを眺めて過ごす。
それは人生の無駄使いなのかな? そうやって時間を浪費するくらいなら、他にできることが沢山あると言われるのかな?
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【筆者】高橋のら
1960年東京生まれ。製本業経営を経て編集プロダクションを設立。
2011年に東京から大分県国東市へ移住し、2014年に国東市から静岡県伊豆半島に転居しました。現在は伊豆の家で編集業を営みながら仕事上のパートナーでもある家内と、国東で出会った6匹の猫たちと共に暮らしています。
国東での猫暮らしを綴った著書「猫にGPSをつけてみた」雷鳥社刊があります。