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松平容保

江戸時代末期から明治時代の大名。陸奥国会津藩主。京都守護職。公武合体論を唱え、松平慶永(まつだいらよしなが)と共に幕政参与となり、京都守護職に就く。尊王攘夷運動が激しくなった京都の治安維持にあたり、尊王攘夷派志士弾圧の指揮をとった。1864年「禁門の変」にて長州藩兵と戦い、これを撃退。1868年の「鳥羽・伏見の戦い」にて敗戦し、江戸に帰った。その後、奥羽越列藩同盟の中心となるも、「会津戦争」で敗れた。

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