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鹿児島県の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

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遺跡総数、約46万か所!日本について遺跡が伝える真実とは?

遺跡の総数は、コンビニエンスストアや神社よりもはるかに多いと言われます。 加えて、毎年9000件も遺跡の発掘調査が行われています。 遥かなる時を越え明かされる、数々の遺跡から見えてきたものとは。...

廃線と廃線跡の記憶。かつて確かにあった鉄道の黄金時代を懐古する

明治の鉄道開業以降、インフラの近代化が進められ日本各地に鉄道が敷かれました。 モータリゼーション化されるまでの束の間、鉄道が花開いた時代の盛衰をたどります。...

日本の地形を愛でる!4つのプレートが織りなす日本列島の多様な地形の特徴とは

富士山、リアス海岸、急流の川、活火山、深い深い海溝、多島美の景観… バラエティに富んだ地形を持つ私たちの日本列島。地形の観点から見てみましょう。...

太平洋戦争の空襲被害~二度と起こしてはいけない爆弾の恐怖

日本本土が初めて空襲を受けたのは、1942年4月。 それから終戦を迎えるまで、どんどん被害は大きくなっていきました。 忘れてはならないその被害とは。...

恐竜化石が続々と見つかる近年の日本。発掘されているのはどんな恐竜でしょうか?!

近年、日本各地でさまざまな恐竜化石が見つかっています。 この地にどんな恐竜が実在していたのか? 化石発掘の経緯も一緒に見ていきましょう。...

古墳が開く古代への扉~古墳から見える各地方の歴史

全国に約16万基あるという古墳。 各地に残る古墳は、ヤマト政権の影響が広く及んだ証拠ともいえます。 古墳から見える各地の歴史を辿ってみましょう。...

火山の噴火によってもたらされた被害と地形形成の歴史~美しい自然地形と大地形成に隠される甚大な被害

世界中の活火山のほぼ一割が集まる国、日本。 その活動は有史以前から続いています。 今日も絶え間なく噴火する桜島から見ていきましょう。...

カルデラとは?火山でよく見かける「円形のくぼみ」 その種類と形成もさまざま!

「カルデラ」とは、スペイン語やポルトガル語で鉄製の深く大きな鍋を意味するカルディーラに由来する言葉。 一般的なカルデラは、大規模な噴火で山体内部から火山灰、軽石、溶岩などが噴出し、マグマが空になった...

鹿児島県の農業産出と漁獲量ランキング

鹿児島県は農業と畜産で知られますが、じつは養殖漁業も盛んに行われています。 養殖のブリやカンパチは鹿児島のブランド魚として認知されつつあります。 そんな鹿児島県の農業や漁業について、ランキングデー...

奄美群島の日本復帰!戦後アメリカの統治下となった島々

終戦から1953(昭和28)年まで奄美群島はアメリカ軍政下に置かれました。 一致団結した島民の復帰運動が実を結び、日本復帰が実現したのです。...

鹿児島は太平洋戦争時の本土防衛の最前線だった!

戦時中の鹿児島県は軍事施設の多い軍都となりました。 大戦末期には本土防衛の最前線となり、連合軍の上陸作戦が実行される寸前でした。...

西南戦争とは?~国内最後・最大規模の士族反乱~

維新の立役者である西郷隆盛が、明治政府樹立後に士族を率いて反乱を起こしました。 それが国内最後の内戦、西南戦争です。...

鹿児島近代の歴史~明治維新の成立!西南戦争、柳条湖事件から太平洋戦争への突入~

鹿児島出身者の多くが活躍し、維新を成功させて明治新政府を支えました。 やがて日本は、太平洋戦争へと突入していくのでした。...

薩英戦争で西欧の強さを認識した薩摩藩は近代化を加速させていく

生麦事件に端を発して薩摩藩とイギリス艦隊が交戦状態に突入しました。 両陣営とも大きな被害を出しますが、薩英は戦後に結びつきを強めていったのです。...

外城制度は薩摩藩独自の制度はどのように運用されたのか?

江戸時代に薩摩藩で独自に発展したのが「外城制度」です。 なぜこの制度が採用され、どのように運用されたのかを見ていきましょう。...

薩摩藩は参勤交代でもっとも遠方からの移動!江戸~薩摩間約1700km!

江戸時代になると、幕府は諸大名に参勤交代を義務づけました。 本州最南端の薩摩藩からは約1700kmに及ぶ長い旅程でした。...

薩摩藩は石高72万石ながらなぜ財政難に苦しんでいた?

江戸からもっとも遠く離れた外様大名だった薩摩藩は、独自の制度で領内を支配していました。 幕末から明治初期にかけて西郷隆盛や大久保利通らが活躍します。...

薩摩島津氏が目指した九州統一と豊臣秀吉の九州攻め

戦国時代末期、島津氏は九州南端から九州統一目前まで迫りました。 島津氏がどのように版図を拡大していったか、その過程を追っていきましょう。...

鹿児島にキリスト教や鉄砲が伝来!~日本の南の玄関口~

16世紀、西欧はアジアに植民地を得て、日本まで交易圏を広げてきました。 鹿児島県域は南の玄関口として、南蛮人を受け入れていったのです。...

島津家が統べる薩摩・大隅・日向~守護大名から戦国大名へ

中世の鹿児島は島津氏によって支配されました。 その島津氏もつねに盤石だったわけではなく、内紛を乗り越えて戦国大名化したのでした。...