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少年B

更新日: 2023年11月24日

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大田区は「空港」と「物流」に大きな変化が見える。古地図から見る街の移り変わり

「紙地図をたどれば、その町の歴史や人の営みが見えてくる」

実在しない都市の地図を描く、空想地図作家の今和泉隆行さんはそう言います。そんな今和泉さんに、今回は東京の大田区を舞台にして、街の移り変わりを掘り下げてもらいました。

大田区と言えば、まずイメージするのが羽田空港でしょう。そこで、羽田空港を中心に、大田区の街の移り変わりや生活、物流の変化を見ていくことにしましょう。

今和泉 隆行(いまいずみ たかゆき) 1985年生まれ。7歳の頃から実在しない都市の地図=空想地図を描き続けている「空想地図作家」。地図デザイン、テレビドラマの地理監修・地図制作にも携わる他、地図を通じた人の営みを読み解き、新たな都市の見方、伝え方作りを実践している。(Twitter:@chi_ri_jin

聞き手:少年B 1985年生まれのフリーライター。地図自体に造詣が深いわけではないが、地図を見ながら「こことここの間に道路ができたら便利だなぁ」などと妄想を膨らませるのが趣味のひとつ。(Twitter:@raira21

東京23区で面積最大の大田区

▲1968年から2021年の地図を見比べてみる(クリックで拡大)

今和泉:
まずは1968年から今までの地図を並べて見てみましょうか。Bさんが気になったところはありますか?

少年B:
なんかめちゃめちゃ埋立地が増えてません? 羽田空港のインパクトがでかいですね……。

今和泉:
じつは大田区は東京23区で面積が最大なんです。もともとは世田谷区が最大だったんですが、大田区は埋立によって面積が増えました。特に、羽田空港の面積拡張がめざましいですよね。

少年B:
本当だ……。羽田空港を見てみると、滑走路もだいぶ増えてますよね。1968年はいまのA滑走路とB滑走路だけしかない。C滑走路もありますが、位置が全然違います。1968年のC滑走路はA滑走路のすぐ脇ですもんね。

今和泉:
1985年になると旧B滑走路が伸びましたが、その後旧A・B滑走路も動いています。2001年の地図を見ると旧滑走路跡が残っていますが、現在はなくなっています。90年代に今のC滑走路のあたりの埋め立てが進んだようです。いまは沖合にD滑走路もできました。

▲1968〜2021年の羽田空港の変化。空港は2倍以上の面積になったが、現在は南東の沖合にD滑走路ができている。(クリックで拡大)

少年B:
大規模化で沖合に移る。以前、横浜の時に聞いた「工業は沖合に」と同じですね。

横浜・みなとみらい誕生の秘密を解き明かす。古地図から見る街の移り変わり

今和泉:
工場移転と同じく、滑走路の延長を伸ばすとなると、もう沖合に行くしかないんです。そして、ターミナルビルが動きまくります。国内線の初代のターミナルも記憶がありますが、まさか今ほど大きくなっていくとは……。

少年B:
よく見ると、滑走路の場所も全部変わってますね。1968年から今の姿は想像できなくないですか???

今和泉:
そうなんですよね。それにしても、90年代から変わり続けて巨大になっていくものって、珍しいですよね。今や羽田空港の旅客数は国内最大かつ、世界5位(2019年)ですよ?

少年B:
そんなに多いんですか!?

今和泉:
アトランタ、北京、ロサンゼルス、ドバイに続いて5位です。なんか意外な順番ですよね。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

筆者
少年B

1985年生まれのフリーライター。地図自体に造詣が深いわけではないが、地図を見ながら「こことここの間に道路ができたら便利だなぁ」などと妄想を膨らませるのが趣味のひとつ。(Twitter:@raira21

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