更新日: 2024年3月28日
「港町」は神戸の一面に過ぎず。古地図から見る街の移り変わり
「紙地図をたどれば、その町の歴史や人の営みが見えてくる」
実在しない都市の地図を描く、空想地図作家の今和泉隆行さんはそう言います。そんな今和泉さんに、今回は神戸市の変化について語っていただきました。
今回は関東を飛び出し、初めての関西です。横浜と比べられることも多い港町・神戸ですが、その変化はいったいどのようなものだったのでしょうか。明かされる神戸市特有の地理的条件とは……。今和泉さん、今回もよろしくお願いします!
目次
神戸駅はなぜこの場所にできたのか
今和泉:
まず、神戸の中心駅といえばどこをイメージしますか?
少年B:
うーん、三宮ですかねぇ? なんとなくそんなイメージがあります。
今和泉:
そうですね。市の名前を冠した神戸駅が中心かと思いきや、こちらはあまり街ではありません。圧倒的に栄えているのは三ノ宮駅です。また、JRの特急列車の多くは、三ノ宮駅には停車しますが、神戸駅は通過しています。
少年B:
なるほど……。
今和泉:
三宮と三ノ宮の2つの表記が登場していますが、JRの駅は「三ノ宮」駅で、町名(三宮町)と私鉄、地下鉄は「三宮」駅です(私鉄は「神戸三宮」駅)。
少年B:
読みはどちらも「さんのみや」なので、今しゃべってても別にぜんぜん気にならないけど、記事になると混乱しそうですね。
今和泉:
三宮(元町)には古くから生田神社がありましたが、明治時代に入る直前に外国人の居留地ができ、そのエリア(旧居留地)を中心に発展しました。のちに神戸市役所が三宮に移ってきたことで、徐々に現在の賑わい、中心性が固まってきます。
少年B:
三宮があとで発展してきたとすると、古くからの中心地は神戸駅周辺なんですか……?
今和泉:
それがそうでもないんです。これは話すと長くなるんですが……。
少年B:
ほう、じゃあなぜ神戸駅はなぜいまの場所に作られたんでしょう。
今和泉:
まずはそこからですよね。鉄道ができる前に栄えていたのは、賑わい始めていた三宮と、もう一つ、古くから賑わっていた港町「兵庫津(ひょうごのつ)」です。
少年B:
兵庫津……? 聞いたことがないんですが、どのあたりでしょう。地図に載ってますか?
今和泉:
分かりにくいですよね……。JR兵庫駅の海側、現在の地下鉄「中央市場前」駅付近です。「兵庫県」の県名のもととなった場所で、平安時代、平清盛の時代から栄枯盛衰を経て今に至ります。
そして、三宮と兵庫津のちょうど間に神戸駅が作られます。両者痛み分け、ではないですが、新旧2つの中心地のちょうど間を取った形です。機関車や貨物列車が停車する広大な敷地が必要だったのですが、既に賑わっていた街だと空き地がないので、ちょうど2つの街の間で空き地が取れたのがここだったのかもしれません。
少年B:
兵庫津に駅を作らなかったんですね。新幹線の燕三条とか那須塩原みたいな感じなのかなぁ。
今和泉:
似た感じで言えば「兵庫三宮」だったのかもしれません。そういえば開業したての北陸新幹線、加賀温泉駅も、もともとは大聖寺駅と動橋駅という2つの中心駅の間の小さな駅だったのが、似たような事情で中心駅になっています。
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