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熊本のシンボル!【熊本城】歴史&見学スポット!

by fotolia - © japal

by mapple

更新日:2018年10月6日

築城の名手、加藤清正の最高傑作であり、難攻不落の堅城といわれた熊本城。2016年4月に発生した熊本地震により天守閣をはじめ、重要文化財に指定されている櫓や塀などが甚大な被害に見舞われた。しかし、今、日本の高度な建築技術と関係者や地元の人たちの熱意が、熊本城の雄姿をよみがえらせようとしている。そんな姿をぜひこの目で見てみたい。

熊本城

加藤清正が築いた近世城郭

天正16(1588)年に肥後の藩主として熊本に本拠を置いた加藤清正が7年もの歳月をかけて、慶長12(1607)年に完成させた。

遠くから眺める熊本城の今

熊本地震にも耐えた宇土櫓

日本最後の内乱西南戦争

”西郷どん“が落とせなかった熊本城

1877(明治10)年、西郷隆盛率いる薩軍と山県有朋を征討総督とした政府軍が激しい戦いを繰り広げた。そんな中、当時日本陸軍の編制上最大の単位である鎮台の拠点が熊本城にあり、薩軍に包囲され攻撃される。しかし、多くの建物が消失するも熊本城は籠城している兵とともに固い守りを見せ薩軍を退けた。

どうして西南戦争はおこったの?

征韓論で下野した西郷隆盛は薩摩に帰り、若者たちの教育の場として私学校をつくった。しかし、こういった動きが明治政府に疑念を抱かせ、薩摩に密偵が送り込まれる。密偵は薩摩にあった火薬庫から政府所有の武器弾薬を持ち出そうとするが、私学校党にはばまれ、結果、私学校党が政府の武器弾薬を奪うことになる。そして、密偵の口から「西郷暗殺計画」を聞いた私学校党は激昂、西郷さえも抑えきれない事態となる。ついに、西郷を総大将とする薩軍が「政府尋問のため」という名目のもと、進軍を開始する。

薩軍
総指揮官 西郷隆盛
戦力30000人

西郷隆盛
薩軍幹部 桐野利秋

官軍
征討総督山縣有朋、川村純義
戦力70000人

山縣有朋
熊本鎮台司令長官 谷干城

西南戦争の動きを時系列に見てみよう

1877(明治10)年2月14日
薩軍の一番大隊が熊本方面へ出発。17日には西郷隆盛も桐野利秋らとともに熊本城へ向かった。薩軍の情勢を掴んでいた熊本鎮台司令長官谷干城は籠城を決意。薩軍が総攻撃をかけるも、熊本城を落とせず、城を包囲する作戦に転換。

3月4日
西南戦争最大の激戦となる田原坂の戦いが始まった。激しい銃撃戦と抜刀による白兵戦は16日間にも及び両軍ともに多数の犠牲者が出た。官軍は田原坂の戦いで薩軍を退却させ、薩軍に囲まれている熊本城開放への一歩を進めた。

4月14日 「官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」
薩軍の背後をついた官軍別働隊は熊本城の包囲をついに破り、熊本城内との連絡を果たす。谷干城らによる籠城は52日間にも及び、加藤清正が工夫を凝らした熊本城は名実ともに不落の名城となった。西郷隆盛は「官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」と独白したと伝えられている。

9月24日 「もうここらでよか」
九州各地で戦いを続けた薩軍だったが、9月1日に鹿児島へ戻り城山の洞窟に籠った。薩軍を約5万の兵で囲んだ官軍は、24日の早朝に総攻撃を開始。下山していた西郷隆盛は股と腹に被弾し、一緒にいた別府晋介に「晋どん、もうここらでよか」と言い静かに目を閉じたという。晋介は涙を流しながら介錯し自らも切腹。これにより西南戦争は終結を迎えた。

熊本城を見学できる2エリア

二の丸広場

春は花見客でにぎわう広場

二の丸駐車場のすぐ横にあり、大天守と小天守、宇土櫓を眺めるスポット。広場の奥には回収された石垣の石が並べられている。

手前が宇土櫓、奥が天守閣

加藤神社

加藤清正を祀る神社

二の丸広場から徒歩数分の場所にある。敷地内から大小天守、宇土櫓、石垣などを間近に見ることができる。崩れた石垣から見つかった観音様を刻んだ石も展示している。

復興を願う人々が絶え間なく訪れている

石の左側に観音様の姿が刻まれている

よみがえる熊本城

天守閣
昭和35(1690)年に復元された大小天守。瓦や鯱が落下している

by fotolia - ©meudachs

不開門
昔の陰陽道で鬼門に位置した櫓門。門を残し、櫓部分は全壊してしまった

by fotolia - © japal

大銀杏
樹齢約140年の大イチョウ。地震後も秋には見事な紅葉を見せてくれた

二様の石垣
熊本城のシンボルのひとつ。下記の新しい石垣の背面が約15㎝程度沈下した 写真は2016年4月以前に撮影

日本一長い長塀
城郭の中でもっとも長い塀だったが、242mの一部が倒壊した。現在塀は改修されている

本丸御殿
本丸御殿にある煌びやかな昭君之間。床面が数センチ傾いている 写真は2016年4月以前に撮影

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戌亥櫓
二の丸広場から加藤神社へ向かう途中に見える。石垣の崩落が激しい

by fotolia - ©ygvc

飯田丸五階櫓
震災後、一本石垣で話題を呼んだ。現在は復旧工事が行われている

筆者:mapple

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