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大河ドラマ「豊臣兄弟!」ゆかりの地・愛知&岐阜へ!兄弟の下剋上ストーリーは名古屋から始まった

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2025年12月23日

大河ドラマ「豊臣兄弟!」ゆかりの地・愛知&岐阜へ!兄弟の下剋上ストーリーは名古屋から始まった

2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」が、いよいよ始まろうとしています。主人公は、日本史上最強の補佐役とうたわれる武将・豊臣秀長です。

陽気で派手な兄・秀吉の影に隠れ、取り上げられることの少ない弟でしたが、秀長なくしては豊臣に天下は訪れなかったといわれるほどの存在。

今回は、秀吉・秀長兄弟が生まれた今の名古屋と、その周辺エリアのゆかりの地を紹介します。

【愛知・中村公園】豊臣兄弟の故郷・尾張国 中村郷

【愛知・中村公園】豊臣兄弟の故郷・尾張国 中村郷
豊國豊公誕生之地碑(画像:(公財)名古屋観光コンベンションビューロー提供)

今も太閤通や日吉町といった、豊臣家ゆかりの地名やスポットが点在する名古屋駅周辺。駅の西、名古屋市中村区一帯は、かつて尾張国中村郷と呼ばれており、ここで後に豊臣秀吉、秀長となる、木下藤吉郎とその弟である小一郎が生まれ育ちました。

現在、付近は都市公園として整備されており、園内には秀吉誕生の地を記す石碑や、豊國神社などの史跡がたたずみます。

「日吉丸となかまたち」の像。日吉丸は秀吉の幼名(画像:(公財)名古屋観光コンベンションビューロー提供)

兄の秀吉と秀長は年齢が3歳離れており、早くに家を出ていた秀吉に代わり、秀長は田畑を耕し、家族を支えていました。

ところが、織田信長に仕えていた秀吉が、突然訪ねてきて「自分の家来になってくれ」というとんでもない話を始めます。最初は断るつもりであった秀長もその熱意に押され、ついに家来になることを決意。秀長は20歳を過ぎてから、農民から武士へと転身したのでした。

■中村公園(なかむらこうえん)
電話/052-413-5525
住所/愛知県名古屋市中村区中村町高畑68
アクセス/地下鉄中村公園駅から徒歩10分
時間・定休日・料金/園内自由
駐車場/あり

【愛知・豊臣兄弟! 名古屋中村 大河ドラマ館】ドラマの世界を体験

【愛知・豊臣兄弟! 名古屋中村 大河ドラマ館】ドラマの世界を体験
中村公園の一角にミュージアムが誕生(画像:名古屋市大河ドラマ「豊臣兄弟!」活用推進協議会事務局提供)

2026月1月、中村公園内に「豊臣ミュージアム」がオープン。館内は、大河ドラマ館をはじめ、名古屋の歴史や文化を伝える「武将も唸る!戦国めし×なごやめし」、ミュージアムショップが設けられます。

「豊臣兄弟! 名古屋中村 大河ドラマ館」では、ドラマの衣装や小道具、名古屋ならではの特集パネルや独自の映像コンテンツが展示され、ドラマの世界観をより深く体験できます。

■豊臣兄弟!名古屋中村 大河ドラマ館(とよとみきょうだい なごやなかむら たいがドラマかん)
期間/2026年1月24日~2027年1月11日
電話/なし
住所/愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷23-1他(中村公園 豊臣ミュージアム内)
アクセス/地下鉄中村公園駅から徒歩10分
時間/9:00~17:00(最終入場16:30)
定休日/原則無休
料金/800円
駐車場/あり

【愛知・名古屋城】家康が天下統一のために築城

【愛知・名古屋城】家康が天下統一のために築城
5層の屋根を持つ大天守。現在は外観からの見学のみ

豊臣兄弟の後に天下を手にし、江戸時代の幕を開けた徳川家康が築いた城も名古屋にあります。関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、1609(慶長14)年に九男・義直のために名古屋城の築城を決定しました。

一説には、大坂の豊臣秀頼からの攻撃の備えや、江戸に直結する東海道の防衛のために築いたともいわれています。

江戸時代は将軍上洛時の宿舎となった本丸御殿。格式の高い建築様式や障壁画が見どころ

広い城内の最大の見どころは、10年にわたる復元工事を経て、2018年(平成30)年に豪華絢爛な姿が蘇った本丸御殿。事前予約制のボランティアガイドによる案内を利用すると、より一層名古屋城の魅力が楽しめます。

■名古屋城(なごやじょう)
電話/052-231-1700(名古屋城総合事務所)
住所/愛知県名古屋市中区本丸1-1
アクセス/地下鉄名古屋城駅から東門まで徒歩5分、正門まで10分
時間/9:00~16:30(本丸御殿は~16:00)
定休日/12月29日~1月1日(イベントにより変動)
料金/500円
駐車場/あり

【愛知・清洲城】信長、秀吉、家康ゆかりの城

【愛知・清洲城】信長、秀吉、家康ゆかりの城
五条川にかかる赤い大手橋が清洲城の美しさを際立たせる

若き信長が本拠とした城。1582(天正10)年、本能寺の変の直後に清須会議が開かれ、秀吉ら織田家家臣が信長の後継者を決定しました。

天主閣2階では、清洲の歴史や清洲城についてなどを紹介(画像:清洲城提供)

明智光秀を討伐したという誰もが納得できる功績のあった秀吉が会議を主導し、織田家の実権は、この会議を機に秀吉の手に移っていったのです。

さらに、秀吉亡き後、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いの際には家康率いる東軍の最前線の城になるなど、歴史上の重要な舞台となりました。現在の清洲城は1989年(平成元)年の再建です。

■清洲城(きよすじょう)
電話/052-409-7330
住所/愛知県清須市朝日城屋敷1-1
アクセス/名鉄新清洲駅・JR清洲駅から徒歩15分
時間/9:00~16:30、1月1日6:30~15:00、1月2・3日9:00~15:00
定休日/月曜(祝日の場合は翌平日)、桜の時期とGWは無休
料金/天主閣400円
駐車場/あり

【愛知・国宝犬山城】秀吉が小牧・長久手の戦いで布陣した国宝の城

【愛知・国宝犬山城】秀吉が小牧・長久手の戦いで布陣した国宝の城
1935(昭和10)年に国宝に指定された犬山城の天守

現存最古といわれる天守を誇り、国宝に指定されている犬山城も、秀吉にゆかりのある城です。

清須会議の後、織田家臣団で台頭する豊臣兄弟に対抗したのが、徳川家康と信長の次男である織田信雄。対決は決定的なものとなり、1584(天正12)年に小牧・長久手の戦いが起こりました。その際に、秀吉は犬山城で指揮をとった時期があります。

天守からは犬山の町並みはもちろん、木曽川や濃尾平野を見渡せる

現在の天守の姿ができたのは江戸時代初期とされ、前期望楼型天守の特徴をよく備えています。木曽川のほとりの小高い山の上に建ち、天守最上階からの眺めは絶景。晴れた日には、信長の拠点であった岐阜城や小牧山城が見えることもあるそうです。

■国宝犬山城(こくほういぬやまじょう)
電話/0568-61-1711
住所/愛知県犬山市犬山北古券65-2
アクセス/名鉄犬山駅から徒歩20分
時間/9:00~16:30
定休日/無休
料金/550円
駐車場/あり

【岐阜・岐阜城】信長が天下取りへの本拠にした城

【岐阜・岐阜城】信長が天下取りへの本拠にした城
金華山の頂上に建つ天守(画像:岐阜市提供)

金華山の山頂、標高329mにそびえる山城。織田信長は、1567(永禄10)年にこの城を落とし、拠点を小牧山城から岐阜城へと移し、約9年間在城します。秀吉と秀長が、織田信長の下で頭角を現していったのもこの頃でした。

また、城のシンボル的な建物である天守は岐阜城が発祥との説もあり、それまで軍事拠点であった城を、権力を示す場へと変えたのも信長らしい点です。

金華山と長良川が天然の要塞となり難攻不落の城とされた(画像:岐阜市提供)

現在の天守は1956(昭和31)年の再建で、内部は1~3階が展示室、最上階は展望台になっており、360度のパノラマが広がり、濃尾平野を一望できます。

■岐阜城(ぎふじょう)
電話/058-263-4853
住所/岐阜県岐阜市天守閣18
アクセス/ぎふ金華山ロープウェー山頂下車、徒歩8分
時間/9:30~17:30(時期により異なる)
定休日/無休
料金/200円
駐車場/なし(車でのアクセス不可)

若武者・秀吉と秀長の天下取りへの出発点

愛知や岐阜は、20代の秀長が兄・秀吉の下で、武士としての生活をスタートさせた地。また、織田信長や徳川家康の本拠でもあり、戦国時代を語るうえで重要なエリアです。2026年の注目スポットとして、大河ドラマの予習を兼ねてぜひ訪れてみましょう。

豊臣秀吉・秀長兄弟の人物像や、生い立ちから天下統一に至るまでのストーリーは、ガイドブック『まっぷる 豊臣秀長』で詳しくご紹介しています。大河ドラマと合わせて、ぜひお楽しみください!

『まっぷる 豊臣秀長』はこちら

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